映画を体験で語る人と中身で語る人(エピソード記憶と意味記憶)
たいていの映画はそれを見た映画館と合わせて語られた時代というのが多分ありました。あったんじゃないかな。
こないだ読んだ映画の紹介本なんて、大半が「この映画は○○という映画館で見た」という話になっていて、個人的な体験なんてどうでもいい、と怒りマックスです。
その点、芸術新聞社から出ている「○○年代アメリカ映画100」のシリーズは、そういう主観的記述を極力排していて、何かを学習するにはとてもいいものです。
いっぽう、戸川進「映画がなければ生きていけない」のシリーズは、多くが著者の体験とからめた映画の紹介になっていて、これはこれで読み物として面白いので困る。
で、体験と結びついた記憶をエピソード記憶といい、学習と結びついた記憶を意味記憶といいます。本当はもう少し細かいんだけど気にしない。
映画を映画館ではなく自宅で見る時代になって、映画の紹介は個人的な体験を語るものではなく、ネットその他で調べたことと映画とを関連づけてうまいこというものになりました。
映画の話の内容は、いわゆる意味記憶という形ではなかなか覚えられません。
どうするのがいいかというと、人に話すのがいいんですね。それも何度も。つまりそうすることで、意味記憶が若干エピソード記憶っぽくなる。
落語家が噺を覚えるのと似たようなもんです。