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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

映画の文法的に見る『007 スペクター』

(今回はネタバレを含んでますのでご注意ください)

 映画『007 スペクター』(2015年)を見ました。
 秘密基地は爆破される、いくら殴っても平気な悪役がいる、ブロフェルドのヘリコプターは落とされる、というお約束満載で楽しい映画でしたが、少し長すぎて疲れた。
 爆破される秘密基地を背後にボンドガールとジェームズ・ボンドがキスしておしまいでいいやん。そこから先はこの話の続きの冒頭30分ぐらいにして。
 民間軍事会社になったMI5での活躍とか見てみたい。資金はボンドがカジノで稼いで自分の懐に入れたところから出ます。
 で、びっくりしたのは冒頭のメキシコでのショットですよ。
 ジェームズ・ボンドが美女とホテルに入って、部屋に入って、フランス窓を抜けて、屋上を歩いて、隣のビルに銃を向けるところまでワンカット。こんなショット今まで見た記憶がない。
 こういうの、何が面倒かって、まずライン(通り道)を作って、機材が写り込まないようにして、照明を統一して、おまけに出ている人がひとりでも失敗したら撮り直し。同じような天気の日に撮らないといけないので、雨の日には撮れない(まあメキシコってそんなにしょっちゅう雨降るとは思えないけど)。
 で、そのあとの、悪者とボンドのおっかけっこの場面なんですが、これ、ボンドが左から右(→)の方向へ走るのに対して、悪者は右から左(←)に走ってる。ええっ、これは映画の文法的にはおかしいのでは、と思いますが、仕方ない。これは照明に関しても首をかしげるところです。
 ヘリコプターでの格闘は、実にうまいことやってますが、50年前と同じようなスクリーン合成。こういうのが007映画のいいところなんだよ、と個人的には力説したい。
 非常に納得いかないのが、会話部分での「聞いてる人の肩ナメ+話している人の顔」という構図。
 これがどうにも好きになれなくて、アメリカのテレビドラマを見るのが嫌になっちゃうんですが、列車の中のボンドとボンドガールの会話なんか、ほとんどこの構図ばかりで飽きてしまう。
 御坂美琴がドレスアップしてこの場面に出てきたとしても、長井龍雪監督だったら絶対こんな風には撮らないですよ。「話を聞いてる人の顔」とか「風景」とか「カメラの横移動」とか入れる。
 これは編集がダメなのかなあ。
 ロンドンでの、CとMとの会話場面では、ちゃんと「相手の話を聞いている人」のカットがあったりするんで、いろいろ考えさせる。
 撮影がホイテ・ヴァン・ホイテマで、編集がリー・スミスというのは、『インターステラー』(2014年)と同じですね。
 しかしどうも撮影班によってムラがあるような感じがするのは、最後の橋の上での「ボンドの視線」と「ボンドガールの視線」との組み合わせのところなんですが、あまりにも別撮りの組み合わせ編集すぎて、ちょっとどんな顔していいのかわからない。
 メキシコ撮影班はがんばってて、ロンドン撮影班はもう少しがんばってほしいのです。
 いろいろ書きましたがまあ、たいていのことは007映画だからなあ、ということで、どうでもいいことです。