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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

市川崑の映画に関する本人の一言集・1(『花ひらく 眞知子より』から『足にさわった女』まで)

 洋泉社の『完本・市川崑の映画たち』(2015年)を読んでます。
 これは森遊机市川崑に聞き語りして1994年にワイズ出版から出たものに、『四十七人の刺客』(1994年)以降の全作品を増補してまとめたものです。
 市川崑監督の映画は、見ていると実に勉強になるんですが、どうも話に集中できない。どうしてなのかもう少し考えてあとで書くかもしれない。
 そんなことはともかく、この本読むとまた市川崑の映画見たくなるのでした。
 監督作品ひとつにつき1行ぐらいで、面白いところをピックアップしてみます。

・『花ひらく 眞知子より』(1948年)
 原作者の野上弥生子は、主演は杉村春子がいいとしか言わなかったけど、市川崑が「野上先生」じゃなくて「野上さん」としか呼ばなかったことを気に入って原作を渡した。
・『三百六十五夜』(1948年)
 芥川龍之介原作の「偸盗」を『羅生門』という題名で撮りたかったんだけど、新人の2作目でそんな超大作は無理だった。プロデューサーの児井英男さんに話したら、「その前にひとつ、これはどうかね」と言われて作った。
・『人間模様』(1949年)
 2作出ていただいた上原謙さんに、この役がぴったりなのでお礼の意味でお願いした。
・『果てしなき情熱』(1949年)
 ウィリアム・ワイラーの『我等の生涯の最良の年』のパン・フォーカスが評判になったので自分もやってみたが、老眼鏡を使ったためカメラも被写体も動かせないショットしか撮れなかった。
・『銀座三四郎』(1950年)
 前作の失敗でくよくよしてるところを、青柳信雄さんがすかっとする映画の脚本を持って来て勧められたので作った。
・『熱泥池』(1950年)
 奈良の新東宝のスタジオで撮影の途中、夜中に火事になり、夢中で消しているうちにギックリ腰が治った。
・『暁の追跡』(1950年)
 警視庁の協力で、新橋の駅前にあったポリスボックスを使ってロケ撮影をした。撮影中に池部良ちゃんとかが本物の警察官と間違えられて道を聞かれたりした。
・『夜来香』(1951年)
 当時の宝塚のスターだった久慈あさみを主演にした映画第一作を、親友の高木二郎プロデューサーに頼まれて作った。
・『恋人』(1951年)
 当時の新東宝は金がなくて、バス代がないので撮影中止ということもあった。そういう日にはキャッチボールをしていた。
・『無国籍者』(1951年)
 成城の自宅から東横(現在の東映の前身)の大泉にある撮影所まで毎日通うのが大変だった。
・『盗まれた恋』(1951年)
 夏十(市川崑の妻)さんと喜劇の勉強をしていて、ようやく成果が出たかな、という作品。ジョセフ・L・マンキウィッツ『三人の妻への手紙』に感動していた。
・『ブンガワンソロ』(1951年)
 自分が知らないうちにどんどん別の人間が撮影していて、自分の知らない映画になった。これがきっかけで新東宝を離れることになった。
・『結婚行進曲』(1951年)
 できるだけ早口でしゃべるように俳優さんたちにお願いした。日本映画で僕が狙うスピーディーな映画を作るのはむずかしい。
・『ラッキーさん』(1952年)
 アメリカのオムニバス映画『百万円貰ったら』のルビッチ監督の話はサラリーマンの悲哀が出てて面白かった。
・『若い人』(1952年)
 1937年の豊田四郎監督のものも見事だけど、それにはない戦後のものとか親子関係とかを入れてみた。
・『足にさわった女』(1952年)
 コーちゃん(越路吹雪)の個性をうまく生かしたいと思った。ところで増村保造君は作品的にド近目なのでもっと客観視できるようにしたほうがいい。

 本当は『東京オリンピック』(1965年)までやりたかったんだけど、ここまででいつも書いているブログ記事の平均量を軽く越えてしまったので、続きはまた明日なのです。