砂手紙のなりゆきブログ

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市川崑の映画に関する本人の一言集・8(『四十七人の刺客』の続きから『犬神家の一族(2006年)』まで)

 引き続き『完本・市川崑の映画たち』(市川崑+森遊机洋泉社、2015年)の中から、自作の映画に関する市川崑自身の話を引用してみます。
 引用は大変大ざっぱなものなので、この本そのものを読んで、さらに市川崑監督の映画を、見れるものがあったら見ることをおすすめします。

・『四十七人の刺客』(1994年) ※これは映画公開前にインタビューしたものが旧版に入ってまして、新版(完本)では公開後のものが掲載されているので続きを引用します
 今回の美術はいつもの村木(忍)女史じゃなくて、クロさん(黒澤明)のほうをもっぱらやっていたご主人の(村木)与四郎さんにお願いしました。本格的に作るので少し勝手が違ってたり、殺陣のほうも健さん(高倉健)と仲の良い宇仁(貫三)さんが協力参加してたりしたので、画面のスタイルが違っている。渾身の力を入れて作りました。
・『八つ墓村』(1996年)
 これは東宝の高井(英幸)プロデューサーの企画。演技はアウトラインだけ決めて、あとは豊川君(豊川悦司)に自由にやってもらった。あまり何も言わなかったもので彼は一時期不安に思ったらしい。犯人当てをパズルのように冷たくしないで、情感に訴えるようなミステリーということで、大詰めの前に一応犯人を割っておいた。2時間強の長さに収めるのには苦労しました。
・『新選組』(2000年)
 紙人形なんだから自宅で撮れるかと思ったけど、照明で映画の奥行きが出せないのがわかった。人形はウレタンボードの厚みが大事。声は豪華メンバーだけど、全員集まるのは無理なのでバラバラに、声だけを録音して、それに合わせて撮影した。ぼくは若者たちの群像を描きたいと、常に思っているんです。
・『どら平太』(2000年)
 主人公はアウトローじゃなくて与党のヒーローなのがミソです。アウトローならクロさんの『用心棒』と同じになっちゃう。城中のカット割りして撮影したつなぎ目を、ワンカットみたいに見えるようにしたのは長田(千鶴子)君の労作です。五十人斬りは全部みねうちで、単調にならないようにストロボ撮影を使おうと思いついた。エンドクレジットは、撮影も編集も、ほんまに大変だったんですよ。
・『かあちゃん』(2001年)
 映画らしい映画を作ろうと思って作った。惠子ちゃん(岸惠子)のおかつは、彼女でなければあり得ません。宇崎君(宇崎竜童)の音楽は、当人がぜひ、というのでやってもらった。どうも優しすぎるのになっちゃったんで、いろいろ再構成した。最後の微妙なラストは、空舞台、人のいない場面の持つ効果を生かしたいと思ってあんな感じにしてみた。
・『犬神家の一族』(2006年)
 最初はリメイクにとまどいがあったけど、一瀬君(一瀬隆重プロデューサー)の熱気に押されて、やることにした。皆さん、映画を愛してください。僕は、やっぱりフイルムがいいんです。ビデオは嫌なんです。

 ということで、この長い連続ブログ記事もおしまいです。

関連記事:

・市川崑の映画に関する本人の一言集・1(『花ひらく 眞知子より』から『足にさわった女』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・2(『あの手この手』から『ビルマの竪琴』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・3(『処刑の部屋』から『ぼんち』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・4(『おとうと』から『東京オリンピック』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・5(『トッポ・ジージョのボタン戦争』から『犬神家の一族』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・6(『悪魔の手毬唄』から『おはん』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・7(『ビルマの竪琴(1985年)』から『四十七人の刺客』まで)