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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

社会派小説みたいな泉大八「アクチュアルな女」のオチについて

 これは昭和35年の話であります。
 東京近郊の某市・某中学校で理科を教えている伊吹先生はオシャレで美人の、なかなかいかしたモダン・ガール。
 それが安保デモに行った際、ついでに証券会社にでも寄ろうと持って行った黒いバッグと、その中の1千万円ぐらいの株券(今だったら1億円ぐらいかな)を落としてしまいます。それは先生が十年ぐらいかけて、こつこつ励んだものであります。
 それを拾ったのがたまたま教職員組合の、違う中学の先生だったので、翌日、組合活動を盛んにやっている、伊吹と同じ中学の西山は、彼女に「バッグの件なら校長のところに行ってるぜ」と教えてくれます。この西山という男はいろいろ情報通なんですね。
 校長はリベラルなタイプの人だったので、バッグの中身の件についても特に聞いたり問題にすることはありませんでした。
 しかしまあ、伊吹先生が大金持ちだというのは学校中に知れわたることになり、次の日の授業では生徒からいきなり、「理科の話とは違うんですけど、カブの話を聞きたいんです」と質問され、その時間とホームの時間を使って、みんなのお金に関する話を聞き、先生の「欲望には限りがないからすばらしい。金はいくらあってもいい」という持論を述べます。
 で、次に西山は「今度はPTAの幹事会で問題になっている」ということで、伊吹先生は、リベラルな校長・保守的な教頭・西山、それに父母の代表として5人の、合計8人による査問を受けます。
 それでも話がうまくまとまらなくて、次に市の教育委員会の、役人っぽいふたりと伊吹先生が話します。
 西山はニヤニヤしながら、「五十万都合してくれれば、おれが話をまとめてやるぜ」とか言います。
 まあ普通の労働問題なら、組合も積極的に介入をはかるんでしょうが、お金持ち(伊吹先生)対体制派という対立では、なかなか先生側につこう、ということにならないんですね。ここらへんが石坂洋次郎青い山脈』(1947年)と同じような戦後民主主義的思考を扱っていながらも、高度成長時代の味つけをした作者のさじ加減のうまさです。
 謝罪文を書いたら許してやる、と、PTAの使い走りみたいになった校長に言われた伊吹先生は、
「謝罪文などといきなり裁くようなことをいいださずに、論理的に批判してはいただけないかしら。そうしたらあたしがまたそれを批判いたしますわ。言論の自由な世の中ですから、フェアな論戦でお互いに向上するようにしたらいいと思いますけど。できませんかしら」
 と論理的なことを言って、
「謝罪文などまっぴらですわ」
 と啖呵を切ります。
 その後その話は、PTAの誰かが告げ口をしたせいで、教師の任命権のある県の教育委員会に知られ、校長は伊吹先生に、辞職してくれ、とお願いします。免職するようなことになると、校長もどっか県内の変なところに飛ばされることになるのは、伊吹先生も承知しているわけです。
 しょうがないのでとうとう、組合の組織のえらい人に面識がある西山に、伊吹先生は土下座をせんばかりにお願いしますが、西山は首を縦に振りません。
「一応それとなく話をしてみたんだけど、幹部がねえ…キュリー夫人ならともかく、カブ先生だろ、って言ってて…」

 そんなオチかよ!
 なお、この話(短編)は本当はもう少し続くのです。