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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

清水宏『簪(かんざし)』(1941年)のぬるいシークエンス(カット)と日付について

 清水宏『簪(かんざし)』(1941年)は、街道を行く蓮華講(という名前の講中)とそのメンバーの女性ふたりの、長いシークエンスからはじまります。
 ヒロインの太田惠美とその友だちのお菊は、だらだら話したあげく山梨県下部温泉(実際に撮影されたのは那須塩原温泉らしいです)に一行と共に泊まります。
 下部温泉は、近くに日蓮宗総本山久遠寺があるため、その関係者の定宿があるわけなんですが、そのことについて話してたらまた一日分の記事ぐらいができてしまうので略します。
 で、ここで案内人が按摩について説明をしているところから、カメラが横(左から右)に動いて、縁側の惠美たちにスポットが変わる、この冒頭のふたつのシークエンスから、なんという贅沢な撮影だろう、と感心します。
 あんまりカットを細かく刻まないという演出は、なんか豪華に見えてしまうんですね。
 宿の二階には4組の、蓮華講以前の宿泊客がいます。人のいないところで読書に励もうという学者の片田江先生、傷病治癒のため(とウィキペディアには書いてありましたが、そうだったかな)温泉宿に来ている納村という青年、夫婦連れで奥さんに頭が上がらない(商家の入婿とかなんですかね)廣安とその妻、それに碁が好きな老人とその孫ふたりです。
 片田江先生はうるさくてかなわんと文句を言いますが、他の男性ふたりは若い娘さん団体が賑やかなのはあまり気にならない様子。
 翌朝、うるさい団体客が出ていったあと、のんびりと露天風呂に入っていた男性たち。ところがそのお湯の中に落ちていた簪で、納村は足を怪我してしまいます。
 旅館の亭主は平謝りなんですが、納村は情緒的なものを感じる、と言って、片田江先生ほどには腹を立てません。
 簪の落とし主からの手紙で、太田惠美の住所が知れたので、旅館の亭主はことの仔細と簪を送ったら、お詫びに参ります、という電報が宿に届きます。それが昭和16年の8月10日。電報の押印で日付がわかります。
 のんびり松葉杖で近くの射的場で遊んでいた納村に、廣安夫婦はそのことを告げ、帰り道で夫は、「情緒的イリュージョン」について話しますが、納村は「君の言うことはさっぱりわからない」と言いながら、延々とダラダラ、川端の道を歩きます。
 ぼくのほうも延々話しましたが、要するにこの場面(シークエンス)のぬるさが本当に素晴らしいのです。
 今どきの人なら、話している人物の切り返しとか、もっとカットを刻んで、物語(ドラマ)にすると思うんですが、このぬるさは田河水泡のらくろシリーズにおける「のらくろと軍の誰かがダラダラ横に歩きながら、くだらないことを話しているコマ」を連想します。要するに今どきの映画・漫画の文法ではない。でも楽しい。
 納村が歩行の練習をするところは、ちゃんと足とか顔とかアップにして、ドラマ的緊張感を出してたりするので、この映画のダラダラしたところは、ちゃんと考えて作っているんだと思います。
 で、その後片田江先生は、ふた組のうるさい団体客が泊まった翌日に、もう我慢できない、ということで東京に帰るんですが、そのことを子供は「八月十九日・水曜日」の日記に書きます。つまり、月曜日に団体客が泊まって、火曜日に先生が宿を出る。
 ところが、8月19日が水曜日なのは、翌年の昭和17年、太平洋戦争のさなかですかね。
 映画『簪(かんざし)』の劇場公開は、1941年のお盆明けぐらいだったようです。撮影は7月中ぐらいに多分終わってるはず。

 本日は1432文字です。