砂手紙のなりゆきブログ

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『魔術師が多すぎる』(ランドル・ギャレット)で納得できない3つのところ

(今回はネタバレを含んでますのでご注意ください)
 ランドル・ギャレット『魔術師が多すぎる』(翻訳刊行は1971年)は、魔法が存在する世界で起きた密室殺人事件で、被害者は世界魔術師大会で新しい魔法を発表する予定のえらい人、容疑者はちっちゃいけどハイヒールはいてるポーランド生まれの魔法使い見習い(魔女っ子)とかいろいろ、探偵はノルマンディー公の特別捜査官ダーシー卿とその助手の魔術師マスター・ショーンです。
 この架空世界では獅子心王リチャード一世が早死をしなかったため、英仏帝国があって、貴族もいるのです。
 ○○大会で関係者が密室で殺されている、という元ネタ本であり、西村京太郎『名探偵が多すぎる』(1972年)のタイトル(だけ)の元ネタ本であります。
 本格推理小説でありながら奇妙な設定ということで、都筑道夫はSFミステリーということにしていますが、SFというよりファンタジーですかね。
 読後どうも納得できないところがあるので、ネタバレ的に書きますが、そういうのを回避したい人はご容赦ください。
 まず、魔法が犯行に使われていないこと。
 どうもこのシリーズは、黒魔術禁止ということになっているので、主に謎解きの方法として使われるんですね。
  でも、それだったらあんまり魔法意味ないじゃん、と思ってしまう。殺された時間と死んだ時間が違う、というのはまあ魔術的方法で証拠をつかむんですが、被害者の変な刺されかたとか、じゅうたんの上のシミとか、密室殺人好きな人にはもうわかっちゃいますよね、あれですよあれ。
 すぐにわかっちゃう人のために、変な世界設定をしているんだろうな。
 それから、真犯人の視点で物語が語られる場面があること。
 そういうのは擬似三人称多視点が基本の英米ミステリーではよくあることで、ダーシー卿とその助手の視点は、物語の最初では出てこないもんだからやはり引っかかる(だまされる)。
 有名どころの英米ミステリー作家でもしょっちゅうあったような気がしてしまうけど、フェアかアンフェアかと言われると微妙なんだなあ。
 じゃあ、ダーシー卿がいないところでの話はどうすればいいのか、という物語の構造に関する疑問になっちゃうんで。
 最後に、ダーシー卿が嘘言って真犯人から真相を引き出すこと。
 これだけは許せない。
 私立探偵は嘘言ってもいいけど、公的な立場の人間(警察とか)が嘘言ったりしたのは困ります。
 以上は納得できないところなんですが、不満なところは…。
 ポーランド生まれの魔女っ子がちっとも話の筋にからんできてないところです。
 ぼくの想像では、この改変世界を作ったのはこの子(アニメ化の場合は声優は茅原実里を希望)で、ダーシー卿と知り合いになれる世界は無数の世界の中でこれしかなかったから。


 本日は1147文字です。

 

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