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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

怒っている人間の視点を出すためには怒られている側を見せないとだめ

 映画の中で怒っている人を写しても、そこには「怒っている人」がいるだけで、その人に感情移入できるかどうかは、「怒られている人」を映画の中で見せないといけません。
 つまり、怒っている人は、現実の世界では怒られている人しか見れなくて、怒っている人(自分)を客観的に見ることができない。
 映画は誰の視点で撮る(あるいは、編集として残す)のがいいのか、本当に難しいのよね。
 まあ、アニメでも同じですが。
 たとえば、
「○○さん、ずっと前からあなたのことが好きでした。つきあってください」
 というセリフがあったとします。
 これは普通にアニメの演出をするなら、ずっとこのセリフを言ってる人・言われている人だけ出す、ってことはないですよね。
「○○さん/ずっと前から/あなたのことが/好きでした/つきあってください」
 と、4つのポイントのどこかで切り返して、言われている人を出すはず。言い終わったあとでもいいかな。
 シャフトの場合だったら全部のポイントで視点切り替えるという手を使うかもしれない。
 とにかく、喜怒哀楽における自分の顔がどう見えるか、なんて、役者や芸人じゃない限り研究しないんで(あと議員もするかな? 学校の先生は微妙なところ)、素人の場合は玄人のヘタな模倣をします。
 昔はとんでもないことを聞いたときに気絶した(気を失った)人間がいたらしいんですが、今は映画の中でもめったにそういう人を見ることがなくなったので、みんな気絶しなくなりました。
 なんかどうもこの、気絶するという手法、西洋の舞台(演劇)から来て、まず身分の高い人に広がり、それから庶民の間に広がった形式なんじゃないかな、と思うんですよね。
 別に浅野内匠頭が城中で暴れた、という報告を受けても、その奥方(瑤泉院)が気を失った、って話はないしなあ。

 本日は759文字です。