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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

1950年代のアメリカ映画の素晴らしいところは数人をまとめて撮ってるところ(水爆と深海の怪物)

 映画『水爆と深海の怪物』(1955年)は、放射能の影響で巨大タコが人間を襲うようになる、というくだらない映画です(放射能によってタコが巨大化するわけではありません)。
 この話の中では、多分主人公だと思う原子力潜水艦のピート艦長、船にくっついた謎の生物の解明のために雇われる海洋生物学者で美人のジョイス博士、どうも三角関係になる人物のカーター教授、その他海軍のえらい人などが出てきます。
 でもって、美人の博士が「正体は巨大タコなんです!」って言うと、誰かは彼女を見ながら「そんなバカな」って顔をしたり、別の誰かは興味深く聞いたりしていて、それを一つのカメラで撮ってるのが素晴らしいんですね。こんな説明でわかるかな。
 いや、そういうのを素晴らしいと思うのは21世紀のひねくれた考えかたで、現在は話している(アクションしている)人・聞いている(リアクションしている)人をマルチカメラでうまいこと撮って、ごちゃごちゃっと編集して、見ている人に分かりやすくするわけですが、そういう技術は当時はあまりなかったんでしょうね、多分。フィルム代も時間もかかるし。
 会話部分でも、人物の切り返しがなるべくないように(金と時間がかからないように)撮ってるんですね。つまり、ふたりが会話するシークエンスでは、ふたりが横を向いたり正面を向いて独白したりして、カットで刻まない。
 こういう演出、つまり一つの場面で複数の人物があれこれ、アクションとリアクションを同時にやっている映像は、ヘタに撮ると舞台をそのまま映像にしたみたいになっちゃうのが困りものだし、1960年代に量産された低予算のテレビドラマがしょっちゅう使ってたので、一時期は安っぽく見えました。
 しかしぼくは、会話シーンでカットを刻む(切り返しを多用する)映画というのが、苦手です。
 物語の進行においてそれが多いと、どうも監督の主観(こう見せたいと思う場面の切り取り)がはなはだ多く感じられて、要するに説明過多に感じてしまうんです。

 本日は829文字です。