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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

映画『有りがたうさん』におけるくだらないギャグと『伊豆の踊子』のリアル

 清水宏監督の映画『有りがたうさん』(1936年)は、伊豆の下田から修善寺まで、伊豆の山(峠)をふたつ越えて走るバスの運転手、通称「有りがたうさん」(すれ違う人みんなに「ありがとう」と声をかけるため)とその乗客に関する物語です。
 この映画の原作は川端康成で、大正14年(1925年)文藝春秋12月号に掲載されました。
 ちなみに川端康成の代表作のひとつである『伊豆の踊子』は大正15・昭和元年(1926年)に「文藝時代」という雑誌に掲載されました。
 映画化のほうは五所平之助監督『恋の花咲く 伊豆の踊子』が1933年で、『有りがたうさん』より少し早い。
 映画『有りがたうさん』では、東京(三島・修善寺)から下田のほうに行く客との間で、次のようなくだらないやりとりがあります。

東京から下田に戻る女性「あたし、水の江ターキー見てきたのよ。すごいわよ。それから発声映画、トーキーも。はっきりもの言うわよ」
有りがたうさんのバスの乗客である女性「(有りがたうさんに質問)ターキーターキーって言うけど、何のことだい?」
有りがたうさん「女が男の真似をすることさ。だから男が女のようにしゃべるのをトーキーって言うんだろうよ」

 これは、1936年当時の水の江滝子とトーキー映画に関する人気を知らないとうまく今の人には笑えないですね。
 この会話自体が、サイレント映画だった『伊豆の踊子』と、この映画に対するメタなものになっているのが面白いです。
 ところで、『有りがとうさん』のバスの終点は熱海・伊東ではなく修善寺・三島で、それは丹那トンネルが1936年にできるまでは、東京に出る人間は熱海・伊東ではなく修善寺・三島の駅を利用していたからです(熱海は東海道本線の支線の駅でした)。
 つまり、『伊豆の踊子』の旅は修善寺から下田までの、現在の国道414号線を通るものです。
 電車の「踊り子」「スーパービュー踊り子」は、東京から修善寺まで、もしくは東京から熱海・伊東経由で下田まで行くものなので、実は小説の『伊豆の踊子』のルートとはほとんど関係がありません。
 やっかいなのは、川端康成が『伊豆の踊子』を書いた1926年と、丹那トンネルができた1936年以降(あるいは伊豆下田鉄道ができた1961年以降)とでは、旅のコースがちょっと違ってしまう、ってことですね。
 まあ、映画『伊豆の踊子』は何度かリメイクされてますが、それはだいたい1926年当時若者で、現在は老人となった者によって、回想として語られる物語になっています。

 本日は1028文字です。