砂手紙のなりゆきブログ

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ガブリエル・ガルシア=マルケスが語った「サマーラの死」を転がしてみる(物語の作り方)

 ガブリエル・ガルシア=マルケス『物語の作り方』(2002年、岩波書店)では、「サマーラの死」という短い物語についての言及があります。P36

『十五分ものでももっと短く語れるものがあるよ。『サマーラの死』を覚えているかい? 召使いが真っ青な顔をして主人の家に帰り、「ご主人様、先ほど市場で死神を見かけたのですが、やつはわたしに脅すような仕草をしたのです」と言う。主人は召使いに馬と金を与えて、「サマーラへ逃げなさい」と言う。召使いは馬に乗って逃げ出す。その日の午後早くに、主人は市場で死神を見かけた。「今朝方、お前はうちの召使いを脅しただろう」と言うと、「いや、脅したんじゃない、びっくりさせただけだ。サマーラから遠く離れたこんなところで見かけたものだからね。今日の午後にも、向こうへ行ってあの男をつかまえなきゃいかんのだ」と答える。この話で長いものが作れると思うかい?」

 ガルシア=マルケスのシナリオ教室に参加しているみんなは、この話をもとに、余命あとわずかと医者に宣告された男が、絵はがきを見て海のそばの町に行き、奇跡をおこす、というような話を作り上げます。
 もとの「サマーラの死」というのは、サマセット・モームモーパッサン以来普通になっている、オチのある短編、というものを作らせたら名人の作家です)による最後の戯曲『シェピー』(1933年)で語られる一挿話で、主人の家があるのはバグダットで、サマーラ(サマラ)はそこから約130キロのところにあります。
 また、ジョン・オハラの短編「サマーラの町で会おう(Appointment in Samarra)」(1934年)のタイトルの元ネタでもあります。ここらへんは「憂愁書架」というブログの「ジョン•オハラ『サマーラの町で会おう』」(2013年12月31日 (火))の記述に依拠していますんで、興味があるかたはそのサイトでも検索してテキスト読んでみてください。
 さて、この話には、「人は運命から逃れられない」というテーマと、3人の登場人物(ひとりは人間じゃないんですけど)のキャラ配置が与えられています。
 ただ、三幕構成という、シナリオの基本的構成だとこれは二幕目でいきなり終わっている話ですね。
 つまり「設定」「対立」「解決」という作りになっていない。
 キャラも、配置はあるけど設定(性格づけ)はできてない。
 だから、たとえば死神を「チビで八重歯のツインテール美少女でドジツンデレ」、召使いを「おっとりした性格だけど、主人公に対してだけは強気な幼なじみ」、主人を「平凡な性格だけど、少しだけ予知能力があって、幼なじみの運命を変えようとする人」にすれば、ごく普通の学園アニメになります。
 だいたいこういうの、話のスジを夜中に考えると自然に寝られて、翌朝目が醒めるとすっかり忘れているか、どう考えても恥ずかしい話にしかなっていない、というのがよくあることです。

 本日は1185文字です。