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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

物語の中に、なぜ作者を出してはいけないのか

 とはいえ、作者が出てきてる小説なんていくらでもありますよね。
「賢明な読者諸君にはすでにお分かりなことと思うが」みたいな感じで。
 それは、読者・作者が矛盾なく物語に出せないからです。
 つまり、「物語の中を外から見ている作者」というのも、「物語の中」として扱われます。
 物語の中から、登場人物が出てくることは可能です。
 カーテンコールで、悪役のクック船長とピーターパンが仲良く頭下げてたりする奴。
 映画のオーディオコメンタリーとか。
 映画の中で映画を撮っている映画は、その映画を撮っているさらにメタな存在を想定しないといけないのです。
 映画の中で映画を撮っている映画が、部分的にメタでなくなることもあります。
 カメラで撮影している映像のあとに、そのカメラで写した映像が写る映画とか。擬似ドキュメンタリー系ですかね。
 多くの映画は、見ている間にそれを撮っている人たちを写してはいけない、という約束があるんですが、メイキングとか創作に関する作者の心境(状況)みたいなものは、作品とどうも切り離すことは難しいということにも、今はなっています。
 野坂昭如が「火垂るの墓」を書くときに何を考えてたかって?
 それは今まで、ぼくのブログを読みつづけていたあなたなら、多分ご存知でしょう(←メタ視点を入れてみました)。

 本日は556文字です。

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