砂手紙のなりゆきブログ

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密室殺人を撮る場合のモンタージュの過剰解釈

1・まず、鍵がかかっていて開かないドアがあり、中で誰かのうめき声が聞こえます。
2・次に、そのドアを開けようとする探偵とその仲間たちがおり、どうしても開かないのでドアを壊すことにします。
3・壊したドアの内側(部屋の中)には、ナイフで心臓を一突きにされた館の主人が倒れています。
4・探偵とその仲間たちは驚きます。「こ、これは密室殺人…」
 こういうの、文章にするとどうってことないけど、映像にするとどうにも変なものになります。
 つまり、4の驚く人たちを(密室ということになっている)部屋の中から撮っている人がいるんだから、そもそもこれは密室じゃなくて、だれがどう考えてもカメラマンが犯人です。
 カメラマンがいるはずなのに、いないことを前提にして話が進むというややこしいことになってしまったのは、エイゼンシュタインモンタージュ技法の過剰解釈のせいです。
 つまり、われわれの映像の鑑賞方法は、
1・何かが写る(たとえば花)
2・それに対してリアクションを起こしている人物が写る(たとえば感動している表情の少女)
 というふたつの記号をつなげることによって、「花を見て感動している少女」という物語を作る、という創作者・鑑賞者の相互理解(誤解)のうえに成り立っているので、
1・死体が写る
2・それを見てびっくりしている人が写る
 というのが、たとえ密室殺人であっても、さほど変には感じられないんですかね。
 エイゼンシュタインは日本語の、意味を持つ漢字を組み合わせて違う意味を持たせる(口と鳥で鳴、など)という手法からモンタージュを思いつきました。