砂手紙のなりゆきブログ

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映画『ヒート』における照明(ライティング)と動線(ライン)

 映画『ヒート』(1995年)は、プロの犯罪者であるニール・マッコーリーおよびその集団と、プロの刑事であるヴィンセント・ハナおよびその集団による対決の話です。ニールはヴィンセントの手を読み、ヴィンセントはさまざまに仕掛け、ふたりでコーヒーを飲んだあげく、銀行を襲う銃撃戦になり、ニールは金持ちだが誠実でないロジャー・ヴァン・ザントと、裏切り者でチンピラのウェイングローを殺します。この映画で殺される死体の数を数えていたらかなり疲れる。
 ニールの仲間は家庭を持ち、ヴィンセントは崩壊した家庭を持っています。必然的に家族の(妻・夫・子供への)愛がテーマになります。悪者のひとりでギャンブル狂いのクリス・シヘリスは、シャーリーンを愛していますが、シャーリーンの彼に対する愛は、ある行動で証明されます(これは話のある種キーなのでネタバレしないようにします)。
 この映画で気になるのは、照明の意図的な非統一感です。病院や警察、各人の家庭、路上など、強い白・青系から黄色・オレンジ系まで、多分意図的に変えているんじゃないかと思うんですね。
 ただそのために、同一色調の中の微妙なライティングの変化が逆に気になって、たとえば二人の人物の切り返しショットになると、これ、いったい光源どこなの? という気分になってしまいます。Aという人物と、Bという人物との、光の当たり具合(光源)違うやん、でも会話してるという、こんな映画が許されるのは黄金期の東映時代映画ぐらいなものであります。
 あと、人の動きをちゃんと撮るには、その人物がどういう動きをして、その際にカメラがどう動くか(追っていくか)という、ライン作りの問題がありますが、そういうの冒頭では、これは、と思うショットもあるんだけど(チクリ屋のアジトで、犬のブリーディングもやっている黒人のところへ、ヴィンセントが行くところとか)、どうも金か時間の問題(多分時間)か、いろいろ撮影の雑さ加減が気になって仕方がない。
 撮影監督はダンテ・スピノッティという人。チーム(班)を作って撮影させて、最終的に色調の統一感(非統一感)を出すのは撮影監督の仕事なので、撮影チームに仕事がずさんな奴がいたら、撮影監督がいくら頑張ってもどうしようもないところがある。