映画『ヘルプレス Helpless』と異化作用
異化とは、簡単に言ってしまうと、日常的に見慣れているもの(記号化・意味化に成功しているもの)を解体し、「もの」と「記号・意味」の関係を再構築させることです。
映画『ヘルプレス Helpless』(1996年)の場合、それはさり気なく机の上に置かれてたり(コーラの瓶とか)、道路に置かれてたり(公衆電話ボックスとか)するものです。
でもって、それに果たして意味はあるのか、というと、多分ある。
物語を「もの」と関連づけるにはふたつの方法があります。
まず、「もの」で物語を作る。落語だと、まんじゅうとか酒とか、芝浜で拾った財布とか、ですね。
それから、物語の中に「もの」を置く。これは、「もの」でなくても、風景とか建物とかでもいいわけです。
かつて、後者の手法を意図的にやった有名な映画監督としては、鈴木清順がいます。
ただ、その手法は、こわい話には向いてるけど、アクション映画には向いてないと思う。話そのものが異化されてますからね。
最近のハリウッド映画では、ホラー映画を除くとそんなものを置いたりなんかしないし、ホラー映画の場合でも道具の意味を解体してるものなんて滅多に見ないのです。
要するに、何が言いたいかというと、映画『ヘルプレス Helpless』は非常に非ハリウッド映画的だ、ということです。
もう少し別の日に話を続けてみたい。