砂手紙のなりゆきブログ

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小説におけるディテールの問題(三方原軍記)

 昔の講談とか軍記ものには、服装が細かく書いてあります。
 なんでそんなことまで細かく書かないといけないかというと、まあ弾み、という問題ですかね。こう、立板に水の勢いで語られると、意味がわからなくても言葉で頭の中が一杯になって、史実とか話の展開の細かいところとかはどうでもよくなる。
 近代デジタルライブラリーから、講談講談『徳川家康』(一竜斎貞山・他、博文館1920年)第七席、「味方原(三方原)大合戦の事、並に内藤三左衛門偵察の事」ではこんな感じ。

『(徳川家康の)その日の扮装(いでたち)は朱のタクボク(?)の鎧、金にて鍬形(くわがた)打ったる前立(まえだて)に金六十四間白星の兜、白檀磨き赤銅造の小手脛当貞宗の太刀、藤四郎吉光の短刀を帯び朝霞と名付けたる俊足に金覆輪(きんぷくりん)の鞍置いて金唐草の押当(おしあて)、紅白紫三段の厚総(あつぶさ)を掛け、唐草象眼の伊達鐙(あぶみ)、七五三戸〆(こじめ)の鞭を挙げ平一散に乗出す。ソレというので後に続く人々は、大久保七郎右衛門忠世、同じく右衛門忠佐、本多平八郎忠勝、内藤三左衛門信成、平岩七之助親吉を初め、其勢(そのせい)一千三百人、揉みに揉んで進発なし大天龍、小天龍を打ち渡る』

 と、何を言ってるのか素人にはわかりませんが、実に調子がいい。
 今はネットの時代なんで、たとえば小説の中に登場人物の服装を細かく調べて入れることもできるんですが、ぼくはそういうことをしないのです。お嬢さまであるキャラクターが合宿で海に行ったときの服装はこんな感じ。

『いかにも夏っぽいけどカジュアルすぎない、オレンジ色をベースにした高そうなワンピース』

 それでいいのか、というと、まあいいかな、という気がします。
 そういうの細かく描写したら、読者の想像力の入る隙間がないのだった。