砂手紙のなりゆきブログ

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なぜ吉本隆明が昔の全共闘系若者に支持されたかを考える呉智英の説

 呉智英吉本隆明という「共同幻想」』(2016年、ちくま文庫)は、吉本隆明のテキストを21世紀的に解釈するためのわかりやすい読み物になっています。要するに、なぜ1960年代当時の、主に全共闘世代に支持されたかについての想像を助ける手がかりになります。
 呉智英によると、共産主義的思想には原理主義と修正主義があって、前者はトロツキーの世界革命思想に基づく非現実的な考え(それは、日本共産党自らが修正主義ということになってしまうので、日本共産党は「極左冒険主義のトロツキスト集団」と呼ぶことにしました)、後者はスターリン共産主義国家防衛の現実的な考えで、吉本隆明は当時の日本共産党も転向者(政治的に考えて思想を変えた人)も許さなかったので、前者を支持することになり、前者を支持していた全共闘の人たちにも支持されました。
 呉智英は「極左冒険主義」じゃなくて「左翼日和見主義」って言葉を使ってるけど、そこらへんはまあ、比較的どうでもいい。
 もう一つは、「関係の絶対性」という、吉本隆明ならではの造語によるイメージ作りで、これは「関係の客観性」、つまり政治的判断を是とする考えになり、それはトロツキー的思想と実は反します。
 それらを結びつけるために、吉本隆明が適当に考えたのが(多分)一般大衆の、彼自身を基準にした原理主義です。つまり、曖昧な基準に基づく大衆は常に正しく、共産主義的思想の原理主義は常に正しい。
 ここらへんは呉智英のテキストに関する誤解釈はあるかもしれませんが、要するに当時の日本共産党の現実主義的(修正主義的)姿勢を是としない人たちが、当時の日本の左翼の中にはそれなりに、目立つ程度にはいた、ということです。吉本隆明が何言ってるのかわからないのに(テキストの詩的表現にうっとりはするんですが)。
 あと、呉智英のこの本でわかったことは、宮本顕治が戦前獄中にぶち込まれていたのは共産主義的思想を貫き通して、治安維持法に抗ったためではなく(というより、だけではなく)、日本共産党スパイ査問事件、つまりリンチによる「監禁、監禁致死、監禁致傷、傷害致死死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反」のために有罪判決があったせいで、吉本隆明の非転向者に関する批判が、今となっては意味のないものになっている、ということです。ただ、そういうのは1960年代には公には語られなかった。
 それから、『言語にとって美とは何か』(1965年)が、スターリンの「マルクス主義言語学の諸問題」(1950年)と関連づけて語られなければいけない、ということです。
 呉智英は以下のように、(田中克彦のテキストをふまえて)述べています。p202

『どこかの国の大統領や首相が、外交や経済問題ならともかく、言語学についての論文を発表するなんてことが、通常考えられるだろうか。』

 批判の対象物が忘れられて、批判だけが残っている例は古今東西けっこうあると思います。