砂手紙のなりゆきブログ

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ヒッピーの島・諏訪之瀬島(トータル・イクリプス)

 諏訪之瀬島は鹿児島県の吐噶喇(トカラ)列島に属する島の一つで、中之島に継いで2番めの大きさの島です。島の大部分は現在も活火山として活動を続ける御岳の火山灰に覆われ、2004年3月末の人口は48人でした。観光名所も何もない島ですが、2009年7月22日の皆既日食は、日本国内では悪石島の6分25秒に次ぐ6分21秒の観測ができる予定でした。結果は皆さんも御存知の通り、悪天候でとんでもない目に会った人ばかりです。
 諏訪之瀬島のもう一つの、かつての名物としてヤマハがリゾートホテル展開をしていた時に作られた「旅荘吐噶喇」がありました。1970年代の後半に、釣り好きのワンマン社長・川上源一が作ったものですが、グアムやサイパンなどのほうが気楽に安く行け、免税店・観光名所・ちゃんとしたホテルなどもあるために、現在は飛行場とあわせて廃墟になっています。営業したのはほんの数年です。
 それ以前に島に来た人たちとしては、ヒッピーのコミューンとして入植したグループが一部では有名です。
 これに関しては、「名前のない新聞」というサイトの「1974年夏の号外「ヤマハの問題は一つのチャンスだ~ナナオへのインタビュー」」というのがネットで見つかります。「名前のない新聞(なまえのない新聞)」は21世紀になっても続いていて、東京だと「ふろむあーす(東京・三軒茶屋)」「ルヴァン(東京・富ヶ谷)」という店で入手できるようです。
 他には、「ヒッピー印"ポン"・山田塊也のHP」というサイトに、「ヒッピームーヴメント史 IN ヤポネシア」というのがあります。こういうのをネットで読み始めるとキリがないんですが、大麻とかLSD体験史などもあって、ガチ楽しいです。1967年に諏訪之瀬島に渡って来たそうですが、当時20代前半でも、もうすでにいい年になってますね。でもヒッピーです。山田塊也さんは2010年に亡くなってますが、1990年に第三書館から『アイ・アム・ヒッピー-日本のヒッピームーヴメント‘60~‘90-』という本が出ているようであります。アマゾンではとんでもない中古価格ですが、都立図書館にはあるみたいなんで、うまくやったら読めるかな。
 で、ポンさんは由緒正しいヒッピーなんで、「神秘の島のアシッド・パーティ」というネットテキストでは、ゲイリー・スナイダー(アメリカの有名な詩人です。アレン・ギンズバーグとも友達)がティモシー・リアリー博士から直でもらったLSD25の緑色の粉末をカプセルに詰めて、諏訪之瀬島の仲間とキメる話などがあります。楽しいですがヤバさ満載の1960年代です。なんでこう、ぼくのブログはどの話も1960年代末の話になっちゃいますですかね。
 今回の話は、日本のいろいろな「穴」を巡る紀行を本にした、『ニッポンの穴紀行』(西牟田靖・光文社)の本をヒントに、検索してみました。この本の中で紹介される諏訪之瀬島の「穴」は、ヤマハが作った島の飛行場(滑走路)の下を通る、切石元浦トンネルの話ですが、まぁだいたい皆既日食に行って見られなかった話が主題です。ヒッピーおよび日本の穴(廃墟遺跡だったり、現役の国会図書館とか黒部ダムの穴だったり)に興味を持った人は目を通してみるといいです。