砂手紙のなりゆきブログ

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日本映画のベスト10に入れてもいいと思うぐらい面白かった『神阪四郎の犯罪』(森繁久彌)

 ところでこれ、原作(石川達三)ではいくら確認しても「神坂」なんですが、映画のほうは「神阪」なんですよね。どうなってるんだろう。それはともかく。
 映画『神阪四郎の犯罪』(1956年)は男女の心中事件を扱う法廷中心のドラマで、ウィスキーに睡眠薬を入れて飲んで死んでしまう女性(文学少女なんですが少しトウが立ってます)の役を左幸子が、生き残って殺人と会社の金横領の罪を問われる雑誌の編集長を森繁久彌が演じてます。
 主人公の周りには死んだ女性を含めて4人の女性(妻・編集部の女性記者・シャンソン歌手)と2人の男性(雑誌社の社長・社会評論家で主人公の仲間だった人)が、法廷の場で彼がいかに金と女にだらしなく、ひどい人間だったかを語り、回想的なシーンで映像になります。会社のほうに入る広告費を200万円横領し、女性編集者を罠にはめ、死んだ女性のダイヤをネコババし、シャンソン歌手の睡眠薬を手に入れ、とさんざんな悪党のように証人は証言します。
 ところが容疑者・神阪四郎が自分の弁明をはじめると様相は一変し、彼の視点で見た6人が、いかに自分の都合のいいように嘘を言っているか(というか、真実を語らないか)、ということが暴かれます。
 法廷における神阪四郎(森繁久彌)の過剰な熱弁(実際の裁判でこんなに演説できる人はいないと思います)と、左幸子の本当に頭おかしい人としか思えない熱演(どう考えてみても遺書代わりの日記には嘘が書いてあったとしか思えなくなります)が素敵に日常のバランス感覚狂わせて、虚構(フィクション)としての映画・物語の面白さをぶちまけてくれます。
 この映画は他の役者も含めて「過剰」が邪魔になってないところが素晴らしいです。森繁久彌の昔の映画を見ることはなかなか難しいんですが、社長・駅前シリーズがつくづく「森繁久彌の無駄遣い」だったのか少しわかります。まぁ渥美清山田洋次の無駄遣いよりはマシかな。
 ただこの事件、刑事側がもう少し捜査したらすぐ解決しそうな事件みたいな気がするのがどうにも。このレベルの捜査で法廷に実際かけるなんてことがあるんですかね。死ぬ女性の部屋にかかってた「絵」の入手経路とか、金の行方とか調べないと立件できないんじゃないかな。そういう感覚が入ってしまうのが昔の映画の鑑賞の邪魔ではあります。

 言い忘れましたが音楽は伊福部昭で、冒頭から伊福部節ぶっ飛ばしてます。