砂手紙のなりゆきブログ

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映画『ピアニストを撃て』で撮影監督のラウール・クタールが失敗しちゃったショット

 映画『ピアニストを撃て』(1960年)はフランソワ・トリュフォー監督の長編映画第二作で、殺し屋の兄シコ・サローヤン(アルベール・レミー)とその弟のピアニストであるエドゥアール(シャルル・アズナヴール)の、特に弟の過去を中心にしたフィルム・ノワールっぽくしようとしてなんか失敗してる、みたいな映画です。冒頭は犯罪映画みたいなんだけど、だらだらとピアニストの日常と回想と事件が語られる、変な話でした。
 トリュフォーの映画にはぼくはなんか「軽さ」を感じてしまうんですが、それはテーマの処理や演出(見せかた)の腕なんでしょうかね。個人的には北野武の映画に通じるものがありそうです。特に『菊次郎の夏』のだらだらした感じとか、「どうなっちゃうんだろう」という方向での興味の持たせかたですかね。
 1950年代から映画は積極的にスタジオや撮影現場周辺のロケではなく、実在の街に出て映画を撮るようになった印象があります。ただ、『ピアニストを撃て』の時代でも機材の重量や撮影のための手間は大変なもので、そのために失敗しちゃった有名なショットがあります。主人公(エドゥアール)が、彼に好意を持っている同じ酒場で働く女性レナと一緒に歩きながら話をするところ。人物に機材が映りこんでて、誰も気がつかないまま公開されちゃったんですね。もう50年以上も経ってて、今の技術では多分影を消すこともできるんじゃないかと思いますが、それは『アビー・ロード』のジャケットでポールが持ってたタバコを消すようなものです。
 しかし、いろいろな国内のデータベースでは、シコはエドゥアールの弟、ってことになってるんだけど、アルベール・レミーのほうがシャルル・アズナヴールより10歳以上年上なんで(1911年生まれと1924年生まれ)、どうなんですかね。原作読んでみるしかないか。

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