砂手紙のなりゆきブログ

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ヴァンプ映画がヘイズ・コードのせいでスクリューボール・コメディになったという説(ノワール文学講義)

 諏訪部浩一ノワール文学講義』(研究社、2014年)という、映画とミステリーが好きな人なら多分面白いと思うような本を読んでます。著者は前に『「マルタの鷹」講義』(研究社、2012年)という本で日本推理作家協会賞を受賞した人です。
 冒頭の「黒い誘惑 初期ノワール小説について」で、フィルム・ノワールの起源についても述べられているんですが、それはまたの機会にして、著者の諏訪部浩一がこだわっているのはフィルム・ノワールの中のファム・ファタール(悪女)という存在です。
 ヘイズ・コード(アメリカの映画倫理規定)が有効になる1934年以前は、それはヴァンプという名前であり、日本語だと蜘蛛女とかいろいろひどいこと言われています。
 で、「ノワール小説の可能性、あるいはフィルム・ノワール」という章で、諏訪部浩一はヘイズ・コードによるギャング映画の衰亡を語ったあと、以下のように述べます。

『同様にして、サイレント時代に大流行した「ヴァンプ」映画--男が悪女にたぶらかされて身を滅ぼすというもの--も、三〇年代には「スクリューボール・コメディ」へとラディカルな変身を遂げることになる。そのわかりやすい例としては、『赤ちゃん教育』(ホークス監督、三八)をあげておけばよいだろう。ドタバタ喜劇にひとしきり笑ったあと、落ち着いて振り返ってみれば、主人公(ケイリー・グラント)の古生物学者としてのキャリアも結婚も瓦解させてしまうヒロイン(キャサリン・ヘプバーン)が、「ヴァンプ」の直系に属するキャラクターだとわかるはずだ。ヴァンプ映画においてはヒロインが男を骨抜きにしてしまうが、『赤ちゃん教育』で文字通り失われる恐竜の「骨」は明らかにファリック・シンボル(引用者注:男根的象徴)であり、女装を余儀なくされたりもする主人公の「男らしさ」は徹底的に解体されている。』(P54)

 その発想はなかった。
 スクリューボール・コメディの起源とされる『或る夜の出来事』(1934年)はそんな話だったかな。
 フィルム・ノワールの起源は普通は『マルタの鷹』(1941年)ということになっていますが、ビリー・ワイルダーが「ヘイズ・コードつきでもこの映画作れるじゃん」と言って作った『深夜の告白』(1944年)がヒットして、その影響下で大量生産されたんじゃないかな。日本ではそのあたりのフィルム・ノワールはほとんど同時期には公開されてません。『深夜の告白』の公開も1953年で、サンフランシスコ講和条約締結(1952年効力発生)後。
 『赤ちゃん教育』は戦争前に間に合ったみたいです(1939年8月公開)。