砂手紙のなりゆきブログ

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プロデューサーのお仕事(ウォルター・ウェンジャー)

 蓮實重彦山田宏一の対談集『傷だらけの映画史』(2001年中公文庫)は、ビデオコレクションの「リュミエールシネマテーク」のおまけ小冊子として世に出されたテキストをまとめたもので、非常に(この手のものがお好きなかたには)刺激的な本でした。映画史ということですが、語られるのはもっぱら1940年代のハリウッド映画ということになっていて、冒頭の1章はウォルター・ウェンジャーという映画プロデューサーの栄光と悲惨について語られます。
 プロデューサーというのはどこかから金を集めたり、自分で金を出したりして映画監督に映画を作らせる人で、いわば監督という神の上のメタ神様です。映画が好きになる人は俳優から入って、監督に興味を持って、小道具・音響とか製作者(プロデューサー)にたどり着くはずです。
 ハリウッドでも日本でも、大きな映画会社に所属しているプロデューサーもいればそうでない人もいて、ウォルター・ウェンジャーは独立系プロダクションの代表的人間です(前歴はパラマウントからコロンビア)。1939年から1945年まで、途中ひと月そうじゃないときもはさんで、映画芸術科学アカデミーアカデミー賞を出すところ)の会長をつとめて、フリッツ・ラングをアメリカに招いて映画撮らせたり、反ファシズム的な考えの人で、戦後はそのリベラルな姿勢が赤狩りの監視対象になりました。
 栄光時代の代表作は『駅馬車』(1939年)、最後のプロデュース作品は『クレオパトラ』(1963年)です。