砂手紙のなりゆきブログ

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『映画は語る』(淀川長治+山田宏一)の中でよくわからないところ

 淀川長治山田宏一の対談集、というよりほとんど淀川長治山田宏一が話を聞いている(ときどき、たぶん山田宏一が資料を見ながら淀川さんの話を補足している)本『映画は語る』(1999年、中央公論新社)を読みました。
 驚異の記憶力と絶妙の語り口で、見たことも聞いたこともない映画の話をする淀川長治さんすごいです。ぼくなんて昨日見た映画のことも忘れてる。というかなんかこの本前に読んだことあるなぁ、と思ったら10年ぐらい前に一度読んでた。驚異の忘却力。
 それはともかく、この本の中で淀川長治は、1951年と1952年にアメリカ(おもにハリウッド)へ、雑誌「映画の友」の取材で行ってたときのことなども語り、写真も20枚ぐらい掲載されてます。
 わからないのは、この写真を誰が撮ったのか、ということです。
 写真そのものの版権は、日本の場合だとウィキペディアだとこのように書かれています(著作権の保護期間)

『1956年12月31日までに発行された写真の著作物の著作権は1966年12月31日までに消滅し、翌年7月27日の暫定延長措置の適用を受けられなかったことから、著作権は消滅している。また、1946年12月31日までに製作された写真についても、未発行であれば1956年12月31日までに著作権は消滅するし、その日までに発行されたとしても、遅くとも1966年12月31日までには著作権は消滅するので、1967年7月27日の暫定延長措置の適用は受けられない。したがって、著作権は消滅している。いずれの場合も、著作者が生存していても同様である。』

 要するに、1952年までに発行(公開?)されている写真の著作権は消滅しているので、誰が撮ったのかはあまり関係ないんですが、マルC表記は「淀川美代子」(淀川長治著作権継承者)になっています。
 写真のクリアさ加減から、専門のカメラマンに撮ってもらったとしか思えないんだけれど、日本から誰と一緒に行ったか、なんて書いてないんで、現地でカメラマン紹介してもらって、撮影のときだけ来てもらったのかな、とか思いました。
 ジェームス・キャグニーに関しては、以下のように語られています。P279~280

『山田 ジェームス・キャグニーともお会いになられていますね。きわめつきの写真といってもいいくらい、キャグニーも淀川さんもいい顔をしています(笑)。
淀川 ぼくはキャグニーに会うつもりはなかったのね。20世紀フォックスに用事があって行ったのね。それで廊下でバッタリ、キャグニーと会ったのね。(中略)それで、立ち話をして、廊下の隅で写真を撮ったの(笑)。すごくいそがしい最中だったけどね、写真撮る間ちゃんと待ってくれてね。よかったよ。』

 こんな感じ。

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 チャップリンのように、淀川長治が会った話はあっても、一緒の写真がないのもけっこうあるのが残念です。
 もう一つ知りたいことがあるんだけど、それは調べられるかもしれないので、別の日に書きます。