「イングリッド(・バーグマン)、たかが映画じゃないか」byアルフレッド・ヒッチコック
山田宏一+和田誠の本のタイトルにもなっているアルフレッド・ヒッチコックのこのセリフは、映画『山羊座のもとに』(1949年)撮影中のことでした。
ヒッチコックはバーグマンの演技が気に入らず、バーグマンはヒッチコックの撮影法が気に入らなくて、おまけに映画もコケてお互いあまり納得できる映画にはなりませんでしたが、フランスでは妙に受けた、とトリュフォーは語っています。
イングリッド・バーグマンとこの映画について、ヒッチコックは『映画術』の中でこう語っています(以下要約)。
「あの映画はうまくいかなかったな。イングリッドが気合い、っていうかキャラ作り入りすぎちゃってね。彼女がやりたい役ってなんだと思う? ジャンヌ・ダルクなんだよ! (ちなみにイングリッド・バーグマン主演の『ジャンヌ・ダルク』(1948年)という映画もちゃんとあります) だからそういうんじゃなくて、会社の一事務員とかでも名優だったら名を残せるんだっていうのに、わからないんだな。」
ちなみにヒッチコックが役者に腹を立てたのは、『巌窟の野獣』(1939年)のチャールズ・ロートンと、『引き裂かれたカーテン』(1966年)のポール・ニューマンと、イングリッド・バーグマンです。特にチャールズ・ロートンに関してはロートンが映画のプロデューサーでもあったので激おこ。
ちなみに、『サイコ』(1960年)では、平凡な(でもないけど)女子事務員の役をやったジャネット・リーがアカデミー助演女優賞の候補になりました。イングリッド・バーグマンの受賞歴に関しては燦々たるもの。ただし『ジャンヌ・ダルク』は主演女優賞ノミネートだけ。
アカデミー賞に関しては、ヒッチコックは「いつもノミネートだけ。作品賞は『レベッカ』(1940年)が受賞してるけど、ありゃプロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックのもんだ」とボヤいています。
そんな彼も1967年にはアカデミーのアービング・G・タルバーグ賞を受賞し、1979年には米映像教育機関アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)から生涯功労賞を受賞し、受賞スピーチにはイングリッド・バーグマンも出席しました。ヒッチコックが死ぬ1年前、バーグマンが死ぬ2年前のことです。
ヒッチコックに関しては、バーグマンのほうから見た話が自伝『マイ・ストーリー』って本に書いてあるらしいので、こっちも読んでみよう。
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