砂手紙のなりゆきブログ

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無責任男とハードボイルド(ニッポン無責任時代)

 映画『ニッポン無責任時代』(1962年)は、東宝映画のクレージーキャッツ映画主演第一作として知られています。
 脚本の第一稿を書いた田波康男と渡辺普との話し合いの場(クレージーキャッツが出演している新宿の「クラブ・リー」)に、当時のブレーンだった青島幸男は遅れてやってきて、素朴な感想として、以下のように述べたそうです。

「アメリカのハードボイルド小説みたいなところが、とてもよかったなァ」

 そして、田波靖男は以下のように回想しています。

『私もアメリカのハードボイルド小説が大好きで、ハメット、チャンドラー、マクドナルドなどを読んでいた。『ニッポン無責任時代』はサラリーマン喜劇ではあるが、さまざまな危機に行き当たりばったりに対処していく、その筋立てはこれらハードボイルド小説へのオマージュのつもりだった。主人公が社内の派閥の両方を行ったり来たりするのも、ハメットの『血の収穫』をイメージしていた。この青島の指摘は、同席した他の誰も理解していなかったと思う。私は彼のシナリオへの評価が単なるお世辞ではないとわかって嬉しくなった。』

 ハメットの『血の収穫』(1929年)は早川書房から1953年から翻訳が出ていますが、そのときのタイトルは『赤い収穫』。東京創元社から1959年に出た翻訳が『血の収穫』(田中西二郎・訳)です。
 ただ、映画として「主人公が社内の派閥の両方を行ったり来たりする」という展開は、2作目の『ニッポン無責任野郎』(1962年)のほうが印象強いんですが、どうでしょうかね。1作目は旧社長と新社長の両方を行ったり来たりします。
 しかし、黒澤明『用心棒』(1961年)が『赤い収穫』その他の影響を受けている、というのは有名なんですが、クレージーキャッツの映画にも影響を与えていたとは。
 なお、東宝のプロデューサーで脚本家でもある田波靖男は、若大将とクレージーキャッツの映画を1960年代に作り続けて有名になった人ですが、慶應義塾推理小説同好会(KSD)にも所属していたくらいのミステリー好きでもありました。
 今回のブログは『映画が夢を語れたとき』(田波靖男、 広美出版事業部、1997年)に依拠しています。青島幸男とのやりとりがあるのはP59。