先のわからない話(佃祭)
落語の「佃祭」と「鰍沢」は、先のわからない話です。
どうしてかというと、この話は、物語というのは普通ははじめ・真ん中・終わりとあるのに、いきなり真ん中(途中)からはじまってしまう。
佃祭は、佃島に祭りを見にいった小間物屋の旦那が、帰りの船に乗ろうとするところをとある女性に声をかけられて、その船に乗らなくて命拾いする話で、鰍沢は山の中でとある女性に毒を飲まされるという話です。
で、主人公および関係者の過去は、間接的に(女性の話として)語られる。
あいまいな状況が提示される話というのは、本当にどういう風に話が進むのかわからなくて困る。
これは多分、主人公に何が起きるのかわからない(過去に起こったことが本当なのかもわからない)せいでしょうかね。
「鰍沢」で一番納得するオチは夢オチなんだけど、いきなりダジャレオチなんで驚く。怖い話なのにダジャレオチ。
「佃祭」のオチは、これを話す前に延々と、昔の迷信について話して、「雷様がヘソを取る、という迷信は、あれは雷雨になると急に温度が下がる、そんときにお腹を冷やしてちゃいけない、腹掛けをしなさいよ、というところから来てまして」とかいろいろ話す中に、「歯が痛いときは梨の実を川へ流して、梨断ちをするといい」というのがあって、これが最後のオチになってる。
こんな馬鹿な話はないですな。寄席出て「あの話はあんなオチだったのか」と気がつく、無理やりオチ。