雑誌は広告を載せる媒体として生まれて育った
植草甚一なんて、雑誌の広告を切り取っちゃうらしいんだけど、それはもったいない。いい紙といいデザインは雑誌の中では広告のために使われていました。本文は捨てても広告は残しておかなくては。
全盛期の月刊アスキーは、あまりの広告の多さに第三種郵便物では送れなくなり(そういう時代だったんです)、集英社の鳥島和彦は週刊少年ジャンプへのゲーム関係の広告の依頼にピンと来て、そういうの載せるための雑誌としてVジャンプを作りました。
マガジンハウス(旧・平凡出版)の木滑良久の編集長としての仕事は、広告代理店めぐりと大手企業の宣伝部長への挨拶で、広告ページにコピーライターが1行100万円のコピーを書く一方で、白黒ページのライターは100行1万円の原稿料で喜んでいました。
まあもう広告媒体としては雑誌は見る陰もないですけどね。1990年代中ごろぐらいまでの話です。