山根貞男の日本映画時評で役に立つのは、この人が当時どの監督と仲がよかったかがわかるところだけ
山根貞男『日本映画時評集成2000-2010』(2012年、国書刊行会)は、ゼロ年代の日本映画を山根貞男氏の視点から見たものですが、丸谷才一の書評と同じく3分の1ぐらいは読者ではなく監督(作者)のために書いているような気がして仕方がないのが困ります。
映画祭に一緒に行ったり、対談したりすると仲良くなるのは普通だし、そういう人の作品を「愚作」と書くのはどうもやはり人の道に外れているうえ、そのことによって別に日本映画がよくなるわけでもないのでかまわないんですが、その場合は仲良くない人もけなさない(微妙にほめない、というレベルにしておく)、というのが基本なのです。
映画に関するテキストで金を回すのに適した方法は、映画監督・製作者と仲良くなって、その人の話をまとめるのが後世の読者のためには一番いいのです。
たとえば「今月もまたろくな映画(小説)がなかった」という風な時評を書くためには、映画界とか小説業界に友達を作らない必要がありますが、それは無理です。
蓮實重彦なんかを見てると外国映画の時評(日本公開時評)だったらできそうな気もするんだけど、ぼくなんかはどうも、人に頼まれて原稿を書くんだったら、人が嫌がるようなことは書かないだろうな。
とにかく、『日本映画時評集成2000-2010』は、なぜこの映画がこんなに持ち上げられて、この映画はこんなにけなされているのか、今となっては少しわかりにくい本だったのでした。
でもまあ、この本の中で紹介されている映画で、今も比較的世間の評判がいいものは見ておきたいとは思います。
本日は654文字です。