小説の登場人物に作家を出すのは映画に鏡を使うようなもの(わらじむし)
小説の中に作家が出てくると、その作家が書いた文章と、その小説を書いている(本来の作家である)文章との区別が難しくなります。
ジュール・ルナール『わらじむし』(1889年)は、とある村の金持ちとその妻、息子と娘、そしてその周辺に関する物語で、金持ちは何に対しても無気力で、家族と性格が合わず、息子はその血を継いで大学受験資格を得ながら大学に行くでもなくだらだらと職については村に帰るという生活をしています。
そんな中に、引退した老婆に代わって下女になる娘(老婆の孫)がいます。
まあそうなったら当然恋愛問題であれこれあって、下女の娘はひどいことになるんですが、ひどいことの一部が、「実際にあったこと」と「彼女が考えただけのこと」と混ざってるんですね。
漫画だったらコマの形を変えたり、映画だったら周りをぼんやりさせたりして、空想と現実とがあまり混ざらないようにするんですが、小説(テキスト)の場合は難しい。
そりゃまあ、字体を変えるとか、手はないことはないんですけどね。
小説の中に語り手を出して、話をややこしくするというマジックリアリズムの手法は、ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』その他ラテンアメリカの文学が翻訳されて、日本でも1980年代に流行ったのかな。
ジュール・ルナールは19世紀末から20世紀はじめにかけてのフランスの作家で、有名な作品は『にんじん』(1894年)、『博物誌』(1896年)などがありますが、死後に公開された『ルナール日記』は読んでおいて損がないものとされているようです。
本日は650文字です。