意味としての「犬」と、存在としての「犬」は違う
音としてイ・ヌが特定の意味を持つわけではないのですが、日本語では「犬」というと特定の動物を意味することになります。
英語だとドッグですね。
絵でも多分同じ。犬だか猫だかわからない絵でもまあ、犬として扱うことにしよう、とすると、それは犬になります。
ただし、それらで示されるものは「犬」という記号・意味で、犬そのもの(存在)ではありません。
ここらへんの認識がややこしいところで、たとえば、記号・意味でしかない「アニメの中のピンクの髪の女の子」を、存在するものとして扱うと、アニメの中のリアルは無矛盾性を持つ(矛盾性を持たない)リアルになります。
要するに、物語は存在と意味の関連性が、ぼくたちの生きている「リアル」な世界と比べると、薄くてもそんなに問題はない、ということになります。
まことに、言葉(記号)というのは不思議なものであります。
もの(存在)に名前(記号)がつけられるようになる、ということは、人が嘘をつけるようになるということで、存在と切り離された記号は「○○の神」として扱われます。
意味のない音は、自然音を除くと、たとえば音楽で、音楽は意味(記号化による世界認識)の果てるところにあります。
本日は509文字です。