砂手紙のなりゆきブログ

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映画は役者のアクションとリアクションを同時に見せてほしい(風と共に散る)

 ダグラス・サーク監督の『風と共に散る』(1956年)は、キャラ配置とシナリオが抜群に面白い、たわけたタイトルをつけられてしまったので損をしている、シリアスロマンス(メロドラマ)の名作です。
 主人公のミッチ・ウェインは貧乏ながらもアメリカの石油王であるジャスパー・ハドリー社長に慕われ、その子供である自堕落なカイルと、その妹のふしだらなマリリーとは幼なじみな関係です。
 カイルは新しく会社に入ったルーシー・ムーアに一目惚れして結婚をし、酒浸りの生活を改めますが、医者に子供を持つことはルーシーのせいではなくカイルの体質のためあきらめたほうがいい、と言われて愕然とし、またグダグダなアルコール依存症になります。
 ミッチのほうも実はルーシーに惚れていて、ところがマリリーのほうも昔からミッチのほうが好きだったんでややこしいことになり、さらにルーシーが妊娠してた、ということを告げるとカイルは「ミッチの子だな!」とあらぬ疑いをかけて、悲劇が生まれます。
 ここらへんの話は、そのまま日本のメロドラマにしても全然問題はない構成であります。ダグラス・サーク監督はメロドラマ映画の巨匠ということで、一時期はとても古くさいものとして見られることがなかったんですが、蓮實重彦その他による再評価で、1980年代からはけっこう見る人が増えたようです。
 昔の映画は、ふたりが会話しているショットで、人物の切り返しがないことが素晴らしい特徴です。要するに、会話の場面におけるキャラ解釈(アクションとリアクションの解釈)が、監督によって強制されていない。見ている側(視聴者)は、困ったことを言う役者を見てもいいし、その言葉で困った顔をしている役者を見てもいい。
 具体的には、マリリーが自分の赤いスポーツカーでミッチとドライブするところ。
 背景はどう見てもスクリーン合成で、スタジオのセット撮影なのに、そのやりとりの緊迫感ときたら、それはもう。
 …どうして『コラテラル』(2004年)のタクシー内の場面もこういう撮りかたしてくれなかったのかなあ。個人的な意見ですが、つくづく残念であります。
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