砂手紙のなりゆきブログ

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ラインは文法でライティングは文体(ヘルプレス Helpless)

 青山真治『ヘルプレス Helpless』(1996年)は、実に技巧をこらした映画です。
 これは、1989年9月10日の午前9時に、バイクに乗っている青年と、電車から降りた片手のない男を迎える男たちではじまり、いろいろとんでもないことが起きて、翌朝になるまでの映画です。
 この中で統一されているのは色調で、全体にオレンジ系の色で統一されて、昼間なのに夕景にしか見えないという不思議な夢(悪夢)みたいな映画で、ひとつのシークエンスの中でのショットをなるべく少なく見せる演出(ライン構成)と相まって、監督の「この俺の文章・文法・文体を見ろよ」、というところを感じる、天才としか思えない素晴らしさです。こんな素晴らしい、瑞々しさという甘いもんじゃない、有名監督の初期作品は、キューブリック『非情の罠』(1955年)以来です。
 映画において、カメラ・人物の動きは文法です。
 たとえば、「ひとりの男が闇の中を歩いてこちらに来た」を、「ひとりを男に闇に中が歩いてこちらの来た」とすると、もうめちゃくちゃですよね? それが間違ったカメラワーク(ライン)。
 でもって、統一されてないライティング(照明)は、間違っていないけど、解釈をややこしくさせる文体。
 一人称が「おれ」「俺」「ぼく」「僕」と統一されていなかったり、三人称になったりすると、読み手を混乱させるのです。
 小説を書く場合に、誰が誰を何と呼ぶかというのを、設定の中に入れておきますよね? それが照明の統一感。
 もうひとつ、ぼくがこの映画で感じたのは「異化」ということです。
 これについてはまた別の日に書こう。

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