砂手紙のなりゆきブログ

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「羅生門」を書いたときの芥川龍之介(花咲くいろは)

 芥川龍之介という作家がいます。まぁそこからはじめないといけないということはないと思うけど、大正時代に短編小説を書きまくって文豪と言われるようになった作家ですね。話が短いのが多いので、たいてい中学・高校の教科書に載っていた。今でも載っているかどうかは不明だけど、多分載っている気がする。短ければ星新一でも最近は教科書に載っているんじゃないかな。よく知らないけど。
 で、彼の短編「羅生門」は黒澤明の映画にもなったぐらい有名な話ですね。とはいえ、映画の『羅生門』は同じ芥川龍之介の「藪の中」のほうに依拠している事件の話なので、『ヒース・レジャーの恋の空さわぎ』がシェイクスピアの『空騒ぎ』ではなくて『じゃじゃ馬ならし』に依拠しているようなもんです。なぜそうなっちゃったかは、橋本忍の『複眼の映像-私と黒澤明-』を読めばわかるし、ぼくも思い出したら書くかもしれない。
 芥川の「羅生門」は、「荒れ果てた羅生門で女の髪を盗んでいる老婆の着物をはぎ取ってどこかに消える下人の話」とまぁ、一言で言える単純なもの。今昔物語の見出しでも「羅城門登上層見死人盗人語第十八」とわかりやすい。
 この小説は、芥川龍之介がまだ東京帝国大学英文科の学生だった時代に、処女作(はじめて活字として世に出た作品、ぐらいに考えていてください)の「老年」とほぼ同じ時期に執筆・発表されたわけですが、まぁ普通に読めば嫌な話ですよね。戦後のヤミ市場とか、暗い世情(世の中)に生きた、どうしようもない若者の話、みたいに解釈するのが今の感覚としては普通だと思う。
 ところがこの作品、彼自身は失恋、というか、結婚を考えていた女性との破談のあとで、とにかく嫌なことがあったので、「現実とかけ離れた愉快な世界が書きたかった」ということで書いたらしいんですね。
 相手の女性は「吉田弥生」さんという人で、家柄とか素性とか年齢の問題で祖父母が猛反対。それで結婚できなくなっちゃった。大正4(1915)年の春の話。そういう時代だったんです。
 あとでちゃんと結婚する、塚本文さんには名文の恋文「僕は時々 文ちゃんのことを思い出します」云々というのが残っているわけですが、この恋文が書かれたのが大正5(1916)年の8月。前の恋人のことはかけらも出てきませんね。
 で、「羅生門」なんですが、どこが「愉快な世界」なのか、これだけ読んでもさっぱりわからないですね。でも考えてみると「鼻」は変な鼻を持った坊さんのつらい話の日常回帰で、「芋粥」は貧乏な五位の侍を主人公にしたアイロニーの効いた切ない日常回帰の話だったりするんで、悪党として飛躍する、昨日とは違う俺になるぜ、みたいに前向きな話は、芥川龍之介にとってはひょっとしたら愉快な話だったのかもしれないです。
 なにしろ、この小説が書かれた時代には、アプレゲールも終戦焼跡闇市も太陽族も、関東大震災大恐慌もなかったわけで、荒廃した世界が非日常だったという、今から考えると謎の時代です。
 だから高校の中間や期末試験の問題で「芥川龍之介は「羅生門」をどういう心境で書きましたか」という問題が出たら、ちゃんと「失恋直後で、愉快な話が書きたかった」と書かないと駄目なんじゃないかと思います。
 ちなみにアニメ『花咲くいろは』22話では授業でこの話をしている最中に松前緒花が母親からの電話を携帯で受けてあわてるので、緒花は多分適当なこと書いてバツもらってるはずです。アニメに関する豆知識というか、ほとんど無駄知識です。