砂手紙のなりゆきブログ

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女性編集者(まんが道)

 藤子不二雄A『まんが道』は、精密な記録と微妙な創作が混じった彼の半自叙伝的作品で、作品中の映画鑑賞の記録などを見ると「ここはこういう風に描いておいたほうが面白いだろうな」という、作者のサービス精神も感じらます。
 高校生の時とか、新聞社で好きな子がいて、みたいなのはフィクションだとは思いますが、気になるのは「なんでこんなに女性の担当編集者が多いの?」ってことです。
 他社は不明ですが、新人の藤子不二雄に原稿を依頼するのが、講談社では3人、学研に1人います。男性編集者はもちろんいないわけではありませんが、手塚治虫担当は当時から全員男だってのは、やはり手塚治虫の原稿を取るのは激務かつ重要な仕事だったんですかね。
 もう少し深読みすると、講談社の女性編集者は多分みんなコネ入社で、重役の親戚とかで、配属された部署の責任者(編集長)とかは、かなりハレモノに触るような感じで扱ってたんじゃないかと思います。いや、そういう時代だったんですよ、昭和30年代の出版社って(多分他の会社も)。
 ひょっとしたら重役の愛人の娘で、まぁ大学ぐらいは出てますかね。
 で、そういう編集者にハガキ整理とか、アルバイトでもできるようなことばかりやらせてると、お父さんに密告されて、編集長が重役(お父さん)に「もっとマシな仕事をやらせろ」と怒られる。漫画みたいな話ですね。ここらへん全部想像ですので念のため。
 かといって手塚治虫その他の重要な作家をまかせるわけにもいかず(原稿待ちの間は徹夜で酒飲んだり麻雀したりして家に何日も帰れない、なんて仕事がお嬢様にできるわけがありません)、しょうがないので「新人の漫画家とかで、よさそうなの見つかったら何か書かせる仕事」でもあてがっておいたんでしょう。
 当時の漫画なんてのは、まぁそれで儲けが出ていたとしても、小説や時事的な雑誌よりはかなり下に見られていたと思いますし、女性編集者も多くは腰掛けで、男性よりも女性のほうが使える編集者が増えたのは、女性のための雑誌の増加・変化に伴っての、1970年代になってからのことでしょう。
 昔の有名な女性編集長としては、雑誌「旅」の編集長で、松本清張に『点と線』を書かせた戸塚文子(実際に原稿取りをやったのは岡田喜秋)がいます。
 ところで、最近はゴロゴロいる女性の編集長ですが、集英社で最初に女性が編集長になった雑誌は何だと思いますか? 言われれば「あー」と納得すると思いますが、「MEN'S NON-NO」です。