砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

この人は「正義の人」じゃなくて「職人」だよね(ダーティハリー)

 映画『ダーティハリー』を見ました。日本では1971年2月公開だったんで、もう40年以上も前の映画か。
 冒頭のサンフランシスコの高層ビルから見た風景とか、ヘリコプターの空撮とか、今見ても美しいです。
 今だとネットで検索しながら見られるんで、スコルピオがどのビルからどのプールの人を狙って撃ったのか、ハリーがどういうルートをたどって誘拐犯と電話交渉したのか、スクールバスはどのコースをたどって行って、どこでハリーが飛び乗って、最終決戦はどこだったのか、スコルピオに出した新聞広告の字にはなんて書いてあったのかまでわかってすばらしいです(日本のウィキペディア、今のには「市警は支払いを拒み」って書いてあるけど、本当は「支払い延長を要求」ですね)。
 ただ、何発撃ったのか、に関しては、未だによくわからない。ていうか、映画版とDVDとは違う(音追加してある)のか。こういうのどうしよう。
 しかし、ハリー・キャラハンって思った以上に「正義」を背負っていないのには驚いた。そういうの基本的に全然考えてない。職務を必要以上に忠実にやっちゃうだけの人。
 これ、相手が頭のおかしい人だからいい話になってるけど、ハリーが刑事じゃなくてナチスの収容所担当だったり、B29の乗組員だったり、硫黄島の日本軍兵士だったりしたら大変だよね。世の中には圧倒的に正義・悪で分類されないもののほうが多いわけですからね。
 正義を勘違いした人の話は「2」でやってるし、悩むヒーロー(主人公)の話はもう、21世紀のアメコミ映画では普通っぽいので、まぁそれはいい。
 今こういう映画を作ろうと思ったら、メタレベルのパロディにしかならないですかね。