砂手紙のなりゆきブログ

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雑誌(複数ライター)の文字校正(丸谷才一『文学のレッスン』)

 雑誌掲載のテキストをその雑誌内で無理矢理統一しようと思っている編集者・校正者がいたら、すこし問題です。要するに雑誌掲載が作家ごとの短編集・長編にまとまったときに、その作家の中で統一されてればいい。でも同一作家の短編集でも、漢字にするかひらがなにするかなんて統一しない例はありますですね。
 対談集や編集後記その他、編集者が書いたりまとめたりするテキストは、出版社・編集部ごとに統一ルールがあるんで、ある程度ルールにしたがって、同じ語の漢字・ひらがなの混在はないはず。
 と思っていましたが…。
 丸谷才一の対談集、というより湯川豊との問答集『文学のレッスン』(2010年新潮社)は、短篇小説にはじまって詩で終わる、わかりやすい文学のメタ本(これをネタにさらに本が読める)で、質問者・湯川豊のレベルの高さもあいまって、よくこんなこと即答で応じられるな、と感心する本です。その中の10ページ。

(湯川)短篇という小説の形式は、同じヨーロッパでも国によってだいぶありかたというか、展開のしかたが違うということでしょうか。

 で、詩に関する話。246ページ。

(湯川)ごく大ざっぱにいって、そういう時代は日本より欧米のほうが長くつづいたようにも見えますが、これは評価の仕方がかかわってくるから、話はそんなに単純ではないかもしれません。

 新潮社の本にして「しかた」「仕方」の混在がありますが…いいんですかね。
 そんなのはいくらでも見つけられる。同じく14ページ。

(丸谷)フランスの場合は、サロンで語られてたり聞いたりした話が奇譚のようなかたちで定着することがあるかも知れません。

 で、すぐあとに、

(丸谷)そういう面もあるかもしれない。

 普通の人間はそんなことあまり気にしないけど、「しれません」ぐらいは統一できないのか、と思った。
 もう丸谷才一さんは亡くなってしまったのですべてはどうでもいいこと。
 オール讀物の連載エッセイとか、どうなってるのか知りたい。
 なお、こういう読みかたをしているとぜんぜん本が読めないので、やめておいたほうがいいです。