砂手紙のなりゆきブログ

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映画でテロリストが悪役ということになったのはいつごろからか(エリザベスタウン)

 少なくとも『ターミネーター』(1984年)のころはテロリストには寛大だったように思います。レーガン政権の影響下で、巨大企業による秘密研究や搾取、「マスコミが取り上げようとしない真実」などが語られ、陰謀論とマスコミに対するミニコミを含めた反権威への敬意があった時代です。
 ハリウッド的大作でテロリストを悪の組織と定め、それに単独で戦う主人公を描いたのは『ダイ・ハード』(1988年)が最初だったんじゃないでしょうかね。その4年にあったことは、チェルノブイリ事故ぐらいかな。その後のソ連および共産圏の崩壊で、誰がどう見ても悪役、というハリウッド的悪役が作りにくくなったので、みんないろいろ考えて「無関係な市民も巻き込むような政治的行動主義者」だったらまぁ、特に問題ないんじゃないか、ってことになった、みたいな。
 もちろん現代でも、現体制に懐疑的で、その中にいる悪い人物(個人もしくは団体)と戦う主人公はいるとは思いますが、テロリスト的行動に肯定的な作品はあまりないはずです。製作サイドの世代交代とかもあるかな。ベトナム反戦世代の現役引退。
 1995年4月19日には、3.11以前は最高の189人の死者を出した「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」がありました。
 その際、ビルの前にあった樹はサバイバル・ツリー(記念樹)として生き残り、キルスティン・ダンストが非常に重要な役として出てくるアメリカの田舎帰宅映画(だいたい主人公が葬式か結婚式かで田舎に帰って、旧友と会う話)『エリザベスタウン』(2005年)では「世界で一番好きな木」と語られます。
 オクラホマシティにはたいした名物もなく、爆破事件を起こしたのも政治的主張を持ったテロリストではなく、単なる一個人ではありましたが。