砂手紙のなりゆきブログ

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カンニングと沈黙(吉村公三郎)

 1948年、戦後はじめての松竹の助監督公募試験がおこなわれました。
 千数百人の応募者はまず課題の作文提出が求められ、書類審査で選ばれた300人が筆記試験で50人に絞られ、面接試験に至るという手順でした。
 筆記試験の監視人の一人だった当時の助監督・西河克己は、1時限目の語学試験、仏語のクラスで不正をやっている学生2人を発見して、残った50人の中にその者がいることを、面接試験が終わったあとの総合判定会議で一同に説明しました。
 そのとき、吉村公三郎大庭秀雄監督は以下のような話をしました。
吉村「カンニングしたって、どうやって?」
西河「一人が一人に教えたんです」
吉村「どちらがどちらに教えたのか分かるかい?」
西河「分かります」
大庭「だったら、教えたほうを取って、教えられたほうは落とすんだな」
吉村「それがいい。他人に教えるということは、自分が落ちる確率を高めるかもしれないんだから、たいしたもんだ。入れるべきだよ」
 そういうことで、合格者になった者の答案用紙の名前には「遠藤周作」と書いてあり、西河克己氏には生涯忘れられない名前となったそうであります。
 ただし遠藤周作氏は、健康上の問題で助監督になることはできませんでした。
 これでわかることは、
遠藤周作って、人にフランス語の答案を見せてあげられるほどフランス語ができたのか!
吉村公三郎さんはいい人
 ただ、遠藤周作の趣味に映画というのはあまり聞かないんで、ひょっとしたら「答案を見せてあげた人」のサポーター(カンニング補佐)役として試験受けたのかなぁ、なんて思いました。
 監督になってたとしたら、松竹的ヒューマン・コメディで時々真面目な映画を作る木下惠介の芸風に似たような感じの人になったのか、松竹ヌーヴェルヴァーグより一世代早くそういった映画を作りはじめていたかどうか、とても興味があります。
 遠藤周作はその作風からは想像できない、身長180センチを超える巨体で、黒澤明大島渚といった巨体監督と並んでもひけをとらないですね。
 そういえば現在、マーティン・スコセッシ監督で遠藤周作の『沈黙』が映画企画進行中なのだった。
(このテキストは森田郷平・大嶺俊順編『思ひ出55話 松竹大船撮影所』(集英社)に依拠しています)