砂手紙のなりゆきブログ

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ドアは誰かの入り口か出口(大図書館の羊飼い)

 ガブリエル・ガルシア=マルケスは、みんなで30分のテレビドラマの話を考えるという講義(というか集団ディスカッション)をまとめた『物語の作り方』(2002年、岩波書店)の中で、主人公がドアを開けると、部屋の中に女性がいる、という物語展開について、次のようなことを言っています。P60

「ドアの映画というのは、外からやってくる人間の映画じゃなくて、家の中にいる人物の映画だからね。つまり、自分の身には何も起こらない、だけど突然運命がドアをノックすると感じている人物の物語なんだ。運命、死、まあ何でもいいんだけどね…」

 つまり、物語は、ドアが開けられると、そのときから、「開けた人物」ではなく「部屋の中にいる人物」の物語になります。
 図書部とか奉仕部とか古典部は、主人公がドアを開けてその部室に入っていくのではなくて、ドアを開けてその部室に出ていく、という仮想をすることによって、主人公の物語になります。
 主人公に秘密で、誕生日のお祝いをすることになっている部室のドアは、猫のピートが探している夏への扉のようなものです。
 密室殺人の場合も、そのドアが開けられると、中にいる殺された人間(被害者)に関する長い物語がはじまることになります。

 本日は512文字です。