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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

なぜ時代劇は滅びて時代小説は盛況なのか

 春日太一『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書、2014年)は、少し前に出た本ですが、じわじわと映画・テレビの中で時代劇が滅びていく状況と、どうしてそうなってしまったかに関しての分析を、手際よく(悪く言えばわかりやすく)、主に悪口としての文脈でおこなっている変な本です。
 著者はこの本の中で、現場の荒廃と役者・監督の勉強不足(ファンタジーとしての時代劇を構築する努力を欠いても、なんら問題がない状況)、そしてプロデューサーのリスク回避意識、饒舌で締りのないシナリオ、など、いろいろな視点から語っています。
 具体的な個人名を出してひどいこと言ってるのがすごいんですが、たとえば岸谷五朗の「仕掛人 藤枝梅安」についてはこんな感じ。まず、緒形拳小林桂樹渡辺謙の梅安をほめたあと、p114

『が、2006年版の梅安を演じた岸谷五朗は違った。「自然体で演じたい」と現代的な日常性で演じることを選び、梅安の二面性や非情さを作り込むことを拒否したのだ、その結果はどうだったか。能面のような無表情の男がウロウロしている姿が終始映し出され、どのような感情を抱き、何を考えているか分からない、間抜けな梅安がそこにいただけだった。血湧き肉躍るヒロイックさも、切なくなるドラマチックさも全くなく、観ていて何の感情も動かされなかった。だいたい、何人も人を殺してきているのに「自然体」でいる男に、感情移入などできるはずもない。』

 まあそうかなあ。大杉漣に関してはこんな感じ。p116

『そもそも、彼が「名優」の扱いを受けているのが理解できない。いつも棒読みで抑揚のないセリフと大げさに強張った表情は、冗談なのかと思わせるほどに下手くそだからだ。それでも、現代劇であれば、使いようによってなんとか誤魔化せてきていた。が、時代劇ではそうはいかない。その「大根芝居」で多くの時代劇を台無しにしてきた。』

 こんなに言われたら当人はたまったもんじゃない、と同情します。
 もっと納得できたのは、次のテキスト。

『今のプロデューサー・監督・脚本家が『七人の侍』を作ったら、野武士個々の生活背景や内面、彼らの内部の細々とした人間関係まで丁寧に描きかねない。それだと、野武士も百姓も変わらない立場ということになり、ドラマの核であるはずの百姓たちの窮状が際立ったものにならなくなる。結果、百姓たちのために命を賭ける「七人」の悲壮な覚悟や、迫りくる野武士たちの恐怖感、それを迎え撃つ侍や百姓たちの緊張感は霧消してしまう。そんな内容では、あのクライマックスの激戦の盛り上がりもないし、「勝ったのは我々ではない」というラストのセリフも効いてこなくなることだろう。』

 ところで、出版業界(小説)においては、もうずいぶん前から時代小説が大量に出版されるようになっています。あれはファンタジーの一種として消費されてるんだろうな。

 本日は1183文字です。