砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

映画・アニメで「何かを見ている誰か」を撮して、次に「その見ている何か」を撮すのは『散り行く花』が起源

 実は「起源」というのは嘘です、すみません。
 考えてみると不思議な技術ですよね。
 文章にすると「彼女はその花を見た。花は美しかった」というのを、
1・花を見ている彼女の顔を撮す
2・その彼女の目から見ている花を撮す
 って映像にしますかね普通。
 絵画だったら「美しい花を見ている女性」と、1枚の絵にするところを、時間で切って視点を変える。
 演劇(芝居)だってそんな視点移動はしない。
 映画史の中では、それをやったのはD.W.グリフィス『散り行く花』(1919年)が有名です。
 この映画は、中国から仏教の教えを伝えにイギリスに渡った中国人が、挫折した夢を抱えながら小さな雑貨店をいとなみ、そこにボクサーの父を持ち母親のいない、迫害されている少女が身をよせて死んでしまう話です。
 少女役のリリアン・ギッシュが指で笑顔を作るシーンは特に有名で、翌年彼女が妹のドロシー・ギッシュを主役にして『亭主改造(Remodeling Her Husband)』という映画を監督として撮った際には、もう撮影日程が大変なことになってしまって、路上の撮影許可を得ないまま撮影していたら警官が来て、もう駄目だと思ったら彼が指でその「笑顔のポーズ」をやって、「オーケー」って見逃してくれたそうです。いい話だなぁ。

f:id:sandletter:20140321180353j:plain

 それはともかく、『散り行く花』のショットのどこがすごいかというと、
1・外を見ている中国人(視線の先には少女)の顔
2・屋外の少女の後ろ姿(その先には中国人)
3・彼女が見ている人形
4・人形を見ている彼女
5・中国人に気がつく少女
 とあって、中国人と少女の視線が最初は交わらないんです。
 こういう演出、普通にはやらない(考えない)ですよ。どこからこういうアイデアが出てきたのか。
 さらにすごいのは、
6・その2人を道路の反対側で見ている悪い中国人
 というのを出してきてるんです。
 つまり、視点としては
 人形←少女←店の中国人←路上の悪い中国人
 という3つがあって、みんな違うほうを見てる。
 ここまで行くと、最近はあまりにも映画的演出(文法)すぎるので使われなくなったかなぁ。
(このテキストは塩田明彦『映画術』(イースト・プレス)に依拠しています)