砂手紙のなりゆきブログ

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マレーネ・ディートリッヒとバート・バカラックとビートルズ

 1950年代後半、売れないどころかレコーディングさえもされない無数の曲を作っていたバート・バカラックは、ピアニストで多少の面識のあったピーター・マッツから「自分はラス・ヴェガスでノエル・カワードの伴奏をやらなければならないんで、マレーネ・ディートリッヒのほうはできなくなった。代わりにお願いできないか」という依頼を受けて、56歳の彼女に会い、歌の手ほどきをして世界各地のコンサートにつきあうことになりました。
 連合国(戦勝国)側の人間として第二次世界大戦中に米軍を慰問したディートリッヒは、ドイツでの公演にかんして反対の声もあったり、肩の骨を折ったりしましたがなんとか終え(彼女はヒトラーナチスが大嫌いだったんです)、その後イスラエルではドイツ語で9曲歌ったにもかかわらず大好評でした。
 1963年11月4日、ディートリッヒとバカラックのふたりはロンドンのロイヤル・コマンド・パフォーマンスのトリとして出演しました。そのときは19組のアーティストが参加し、ビートルズは7番目で、「安い席の方は手拍子を、その他の方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と言ったことで有名です。ちなみにビートルズは4曲で10分ほど歌いました。
 エルヴィス・コステロの父親であるロス・マクナマスが歌ったジョー・ロス・オーケストラは12番目でした。
 当日はエリザベス女王は妊娠中だったため欠席しました。
 バート・バカラックの作曲(正確には共作)・ビートルズ演奏の「ベイビー・イッツ・ユー」が入っているアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は1963年3月にイギリスで発売されていました。
 エルヴィス・コステロバート・バカラックはなかよしで、映画『オースティン・パワーズ:デラックス』ではいっしょに「雨にぬれても」を弾いて歌ってくれます。
 言い忘れましたが、バート・バカラックはドイツ系ユダヤ人です。

(今回の話はバート・バカラック+ロバート・グリーンフィールド『バート・バカラック自伝』シンコー・ミュージック・エンタテイメント、2014年刊行、に依拠してます)