砂手紙のなりゆきブログ

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「図書館の自由」と闘争精神(図書館戦争)

 今ごろになって『図書館戦争』読んでます。アニメも映画も知らないけれど、若気のいたりすぎる女性主人公にかなりイライラする。もうひとりの同期の男性のほう主人公にしたほうがおもしろくなくない? 個人の感想です。でもそうするとBLっぽい話の展開しか出てこないのでどうしよう。あともっと本の話しろよ。禁書目録森鴎外の名前出すとかですね。禁書にしなくてもそんなの若い人間は誰も読まない、という問題はさておき。
 作品中で語られる(というか章の見出しになっている)「図書館の自由」(図書館の自由に関する宣言)に関しては、1952年5月北九州でおこなわれた全国図書館大会で「破壊活動防止法」(1952年7月施行)に関する異議申立ての決議でもめて、当時の日本図書館協会事務局長だった有山崧(ありやまたかし)氏がその政治的姿勢に「図書館界が「破防法」について直接発言することは,厳々戒むべきことであると信ずる。図書館が本当にinformation centerとして,客観的に資料を提供することを以ってその本質とするならば,図書館は一切の政治や思想から中立であるべきである」(『図書館雑誌』1952年7月号)と異議をとなえ、それから埼玉秩父市で1952年2月7日に起きた「中島健蔵座談会問題(警察が勝手に司書の引き出し開けて調べた)」の件で1952年11月30日の埼玉県図書館大会で「日本図書館憲章」の制定というものについて日本図書館協会に申し入れられ、日本図書館協会によるマニアックな雑誌『図書館雑誌』およびすごい名前の委員会である図書館憲章委員会で延々と議論が重ねられたあげく、より広汎的・中立的な姿勢で、1954年5月30日に全国図書館大会および日本図書館協会総会における決議で採択されましたが、実はそのときも文面として「図書館の自由が侵される時,我々は団結して,関係諸方面との協力の下に抵抗する」という「抵抗」の語に抵抗を感じる人がそれなりの数いて、最終的な文面は「図書館の自由が侵される時、我々は団結してあくまで自由を守る」ということになりました。読んでるあなたも大変でしょうが、キーボード叩いてるぼくも大変だった。
 原案は日本図書館協会の公式サイトで見ることができます。
 そしてそれは1979年に「プライバシーの保護」という件が追加される形で改訂されました。
 小説『図書館戦争』の中の架空の法律「図書館法第四章 図書館の自由」では、「図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る」となっていますが、改訂版の「図書館の自由に関する宣言」では「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る」となっています(旧版・新版ともに『図書館戦争』とはかなづかいと読点の使いかたが微妙に違います)。
 要するにそもそもはこれ、ものすごく青くさい(若者くさい)、1950年代前半の背景を背負ったテキストであります。
 冷静になって考えてみると、誰もたかが本ぐらいのことで『図書館戦争』みたいに殺し合いなんかしない。
 最新の情報は2013年7月に刊行された『図書館の自由に関する全国公立図書館調査2011年付・図書館の自由に関する事例2005~2011年』かな? 日々に新しい事例が追加されてるみたいなんで(最近だと漫画『はだしのゲン』閲覧に関する事例とか)、日本図書館協会のサイト中にある「図書館の自由委員会」ってところチェックするといいかもしれない。
 ちなみに2014年は、「図書館の自由に関する宣言」採択60周年です。
 自衛隊発足も60周年です。
 ゴジラも60周年です。
 有害図書ということで手塚治虫の漫画が焼かれ、石原慎太郎の『太陽の季節』が発表されたのは翌年の1955年で、太陽族系映画が問題になって映画倫理委員会(映倫)が設立されたのは1956年です。
 高峰秀子が『カルメン純情す』の最後で「私も再軍備には反対です」って言うのは1952年です。
 フィリップ・K・ディックが短編「ウーブ身重く横たわる」でデビューするのは雑誌「プラネット・ストーリーズ」1952年7月号です。
 なんかそのあたりの時代の空気は、空気としては読めるんだけど、実感が持てない。
 秩父市の事件で名前が出てくる中島健蔵氏は伊藤整の「チャタレー事件(チャタレー裁判)」で弁護側の人間に立った人なので、D.H.ロレンスとも関係があるフランス文学者です。