砂手紙のなりゆきブログ

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1933年の小津安二郎の心意気

 キネマ旬報の1933年1月11日号で、映画評論家岸松雄のインタビューに対し小津安二郎は以下のように答えています。

「やはり監督である以上、年に六作はつくりたいです。六本ぐらいつくらないのでは、勉強になりませんからね」
「毎年一本ずつぐらい、会社員物をやって見たいと思います。事実、毎年一本は必ずつくっています」

 ぼくの知っている小津安二郎は、年に一回、いわし雲の下で娘の結婚に関する話を芸術祭参加作品として撮っていた人でした。
 あまりにも芸術なのでそんなに一般の人には見られなかったから、きれいなフィルムが現存している、なんて悪口を言われてるけど、それはとてもよく出来た嘘もしくはホラ。
 ちなみに当時の小津安二郎が一番好きだった外国の映画監督は、例によってエルンスト・ルビッチ
 フランク・キャプラが有名になるのは『一日だけの淑女』(1933年)以降です。
 プレストン・スタージェスが日本で知られるようになったのは戦後。