砂手紙のなりゆきブログ

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メタ怪談(物語の魔の物語)

 井上雅彦・編『物語の魔の物語』(2001年、徳間書店)は、物語れる物語について話をこわくした13編の短編が収録されています。それはさらに3つに細分化されてます。
・魔の物語の魔
「牛の首」(小松左京
「死人茶屋」(堀晃
・魔の物語の物語
「ある日突然」(赤松秀昭)
「猟奇者ふたたび」(倉阪鬼一郎
「丸窓の女」(三浦衣良)
「残されていた文字」(井上雅彦
「セニスィエンタの家」(岸田今日子
「五十間川」(都筑道夫
「海賊船長」(田中文雄
「鈴木と河越の話」(横溝正史
「殺人者さま」(星新一
・物語の魔の魔
「何度も雪の中に埋めた死体の話」(夢枕獏
「海が飲む(Ⅰ)」(花輪莞爾)

 わかりやすくいうと「物語のない物語」「物語と物語るものとの区別が不明な物語」「物語るものが不明な物語」ということになります。
 この中でも究極にわかりやすくてこわいのは「牛の首」で、それに類するほどこわいものは、メタ怪談として作るのは難しいという気がします。
「牛の首」がどんだけ怖いかというと…その前に一杯飲ませろ、という、落語「馬の尾」の、オチがない話みたいなものです。
 技法的には、魔の物語の物語という、作者と登場人物がごちゃごちゃになる話がけっこう面白いんだけど、どうも何本か読むと、ああ、こういうオチなんだな、と気づいてしまうのがネックです。ほかのアンソロジーに紛れ込ませてしまえばよかったんだろうな。あと、これでこわがらせるというのはちょっとむずかしい。騙し絵に感心しても、それでこわくなる、ということがないからなんですかね。そこらへんは自分でも疑問です。
 騙し絵っぽい話は、むしろお笑い(コメディ)に向いてるんじゃないかと思うのです。
「ここまで書いて作者は、ふと疑問に思った」みたいな感じで。
 これはもう、井伏鱒二白毛」(1948年)をコメディと読むかホラーと読むか、の感性の違いなんだろうな。

 本日は797文字です。

 

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