砂手紙のなりゆきブログ

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エド・ウッドは本当に映画業界で最低の映画監督なのか(エド・ウッド)

 重政隆文『映画の本の本』(松本工房、2002年)では、町山智浩・編『エド・ウッドとサイテー映画の世界』(洋泉社、1995年)に言及する形で、エド・ウッドを最低映画監督にすることに関して疑問を呈しています。
 その中の記述を整理して以下に述べます。
 まず、映画『エド・ウッド』の脚本家であるスコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーが、ハリー&マイケル・メドベド(兄弟)による『ゴールデン・ターキー・アワーズ』(1980年)でエド・ウッドに興味を持ちました。
 2人は大学のルームメイトであり、スコット・アレクサンダーが映画の授業の課題でエド・ウッドのドキュメンタリー映画を撮りましたが、教師には全然評価されませんでした。
 2人はその後プロの脚本家になり、『プロブレム・チャイルド』(1990年)の脚本を書いたのですが、その後子供向けの脚本依頼しか来なくなりました。
 しょうがないので本気を出して『エド・ウッド』の脚本を書き、監督は知人のマイケル・レーマンに頼んで、そのコネでティム・バートンに製作をお願いするつもりだったのが、結局ティム・バートン監督作品になりました。
 要するに、『ゴールデン・ターキー・アワーズ』という本がすべてのはじまりなんですが、この本の著者は(重政隆文によると)本が出た時点では33歳と20歳。彼らの映画知識で最低映画・映画監督なんか選べない、というのがだいたい重政隆文の説です。
 ちなみに、その本の中で最低映画監督にノミネートされたのはウィリアム・ボーディン、ハーシェル・ゴードン・ルイス、フィル・タッカー、それにエド・ウッドの4人だったそうです。
 ウィリアム・ボーディンは『ビリー・ザ・キッド対ドラキュラ』 (1965年)とか、フィル・タッカーは『ロボット・モンスター』(1953年)とかありますが、エド・ウッドと同じく特に才能があるわけではないけれども、このくらいの映画監督ならいくらでもいそうな気がします。見てないけど。
 ハーシェル・ゴードン・ルイスは近年になって再評価が著しく、代表作『血の祝祭日』その他が比較的容易にブルーレイも含めて鑑賞することができます。