砂手紙のなりゆきブログ

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なんでこの子たちはたいていこっち向いてしゃべってるの?(少女たちの羅針盤)

(今回はタイトル作品のネタバレになっている部分もあるのでご留意ください)
 映画『少女たちの羅針盤』(2011年)は、広島県福山市を舞台にした素人女子高生の路上演劇をする4人をメインにした犯罪(殺人)の話です。最近どうも3次元の日本映画(要するに実写)に慣れてなくて、まあ男子はいいんですが、女子はなんかその汗臭さを含む存在感がいろいろ耐えられなくて、話になかなか集中できなかった。最後まで見てもう一度4人のキャラの立ち具合とか、犯行の伏線とか確認してみました。
 で、アニメと違う部分でもっと気になるのは、「なんでこの映画は、しゃべってる子ばかり写してるの?」ってことでした。
 例として、4人がひとりの子(来栖かなめ)の家に行って、シナリオを検討するんだけど、フレーム外の子がしゃべるのは、
「だめ、どっちも」(北畠梨里子)
「新たな企画で勝負すべきだよ」(北畠梨里子)
 っていう2つのところだけ。

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 ただ、交互にしゃべる(言い合いをする)ふたりを写したりして緊迫感を出すには成功してると思うけど、21世紀のアニメやアメリカ映画を見てると、なんかちょっと今っぽくない演出にしてるのかな、と思ってしまいます。
 で、気がついたんだけど、これは「アニメのほうが単にしゃべってる人を写さない演出に技術を特化させただけ」って気もしてきた。だって、口の動きとセリフ合わせるの面倒くさい(手間と金がかかる)じゃないですか。
 あと、実写だと「話を聞いている人」のリアクションって、すごく難しいんじゃないかな。
 アニメの場合はオーバーアクションしてもそんなに不自然じゃないし、アメリカ映画やドラマは、まあその、アメリカ人だから。