剣の達人ではないことを示すためには剣の達人でなければならない(ラストサムライ)
映画『ラストサムライ』(2003年)は、素晴らしい黄金のクソ映画です。
物語は1876年の初夏、南北戦争のついでにインディアン(アメリカ先住民)を虐殺したネイサン・オールグレン大尉は、リトル・ビッグホーンの戦いでボロ負けしたあと、ウィンチェスター社の銃の実演販売人として、週給25ドルで雇われて、ウィンチェスターM1873(レバーアクション式)の早撃ちを見せますが、日本で銃の指導をしてくれたら月に500ドル出すと武器商人に誘われて明治天皇の軍隊の雇われ指導教官になります。
訓練がととのわないうちに指揮官の長谷川大将とその軍隊は、鉄道を襲うという侍の勝元とその騎兵たちと戦うことになりますが、さんざんの負け戦で(ここらへん、装填が追いつかない旧式銃の弱点の描写が話に合ってますが、まあ銃器関係に関してはでたらめです)長谷川は割腹し、オールグレンは槍になっている旗で死に物狂いに戦い、赤い鎧の武者を倒し、勝元はその戦いぶりに何か感ずるものがあったと見えまして、自分たちの里に連れて帰ります。これが1976年の7月。
殺された武者は勝元の義理の弟(実の妹の婿)で、オールグレンは里で日本式剣術と大和魂を学び、春になって都に勝元とその軍は行き、元老院の廃刀令に従わなかったことで殺されそうになった勝元を助け、オールグレンは最後の決戦を、300の兵で100万のペルシャ軍と戦ったギリシャのテルモピュライの戦いのようだと思いながら迎えます。これが1977年の5月。
日本人が見たらおかしいところ普通に100箇所ぐらい見つけられるぐらい変な映画ですが、まあそこは、日本という名前のファンタジー世界ということで別に問題はありません。
だいたい9か月ぐらいの訓練で、もともとの資質と土台があったのか、オールグレンは剣術の師範と互角に戦えるだけの剣術の腕を身につけます。
そんでもって、最後のエピソードの少し前、東京の館に謹慎を命じられた(厳重に警護され、切腹の懐剣を渡された)勝元に会おうとしたオールグレンは、夜中に4人の刺客に襲われ、これを徒手空拳で、相手の刀を利用してなどして倒しますが、ここらへんの雑な演出(カットを細かく刻む例の奴)が、もう少しなんとかならないもんかな、とか思います。
つまり、最初に赤い鎧の武者を倒すシークエンスと、4人の刺客を倒すシークエンスでの、オールグレンの剣術の上達ぶりが、見ている人にはよくわからないんですね。
やはりアメリカの役者は、刀の使いかたをいくらよく知ってても需要はそんなにないんで、オールグレン役のトム・クルーズはそれなりに頑張っているんでしょう。
残念なのは、トム・クルーズってひょっとしたら、「人の話を聞く役」がうまい、要するにアクション後のリアクションがうまい役者なのかな、と思えるところがしょっちゅうあるのに、そういうのあまり写してくれないところなんです。
要するに、彼がしゃべっているところのカットが多すぎる。
たとえばですよ、こんなセリフがあったとして、
「○○さん、ずっと前からあなたのことが好きでした。つきあってください」
それに対して、
「な、何言ってるのよいきなり、バカじゃないの?」
というリアクションがあったとしますよね。
今の技術では、アクションとリアクションは、マルチカメラで同時に撮ることになっていますが、昔はリアクションは別撮りで、これがもう下手な役者がいるわけですよ。役者が下手なのか編集が下手なのか、正直言って不明なんですけどね。
どうもこれに関しては長くなりそうなんで、また別の記事にします。
本日は1473文字です。