砂手紙のなりゆきブログ

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映画を短くする人は監督じゃなくて編集の人(人間の條件)

 ミア・ファローは『ラジオ・デイズ』(1987年)で、ラジオの中の声を35回、全部違う調子でやったあげく、ウディ・アレンにそのシーンはカットされました。
 熱演がカットされるのは映画の場合ではよくあることのようです。
 ただ、その場で「このショットは意味がないんでいろいろ撮ったけどやめる」とか言うと、役者のテンションというかやる気(モチベーション)ガタ落ちするんで、編集されたフィルムを役者が見て唖然とする場合が普通です。
 役者が監督をクビにした例ってあまり聞かない。
 公開される段階での映画で一番主導権があるのはプロデューサーで、その次が編集です。監督が6時間撮った映画を3時間ぐらいにするのなんて普通。
 余談ですが、SF業界でシリーズではない小説の中で最も長いものの一つであるロバート・A・ハインラインの『異星の客』(1961年)は、最初80万語で、それを編集者に言われて17万語に削ったそうです。
 でも長いほうでも『失われた時を求めて』の半分ぐらいの長さだからどうってことない。
 映画はぶっつづけで流すとつらいので、「第○部」って切ってますよね。
 5時間12分の『1900年』は3部。
 9時間34分の『人間の條件』(1959~61年)は6部。
 ぼくはどちらも見ました。
 見終わった人のために、劇場では上演終了後「私は『人間の條件』を見ました」バッチが配られてた。
 しかしもう、どんな話だか覚えてないんだよなあ。連隊旗を取り戻しに、選り抜きの7人が敵地に進入する話だったっけ? 射撃の名手と元庭師だった伍長がいて、主人公は満州国皇帝の玉璽持ってて、それを火山に捨てに行く話だったっけ?