「行かねばならぬ、行かねばならぬのじゃ」って誰のセリフ?(天保水滸伝)
三波春夫「大利根無情」は、やくざの親分である飯岡助五郎と笹岡繁蔵の、利根川周辺での縄張り争いを描いた講談『天保水滸伝』に出てくる剣の達人「平手造酒」のモノローグを中心にした芝居みたいな歌です。
平手造酒は江戸のお玉ヶ池・千葉周作の剣道場で修行した剣の達人で、酒を愛しすぎたために破門扱いにされ、胸をわずらって笹川繁蔵のところに助っ人(というか剣の先生)的な立場で住みついています。
そこで釣りをしているときに知り合った尼が妙心尼で、笹川繁蔵が飯岡助五郎のところに殴り込みに行くのに、やくざな仕事を先生にさせちゃいけないってことで知らせなくて(講談では笹川繁蔵はいい親分ということになっています)、形見の酒を渡しに行ったところがふと子分から手紙が落ちて、それを読むとなんと飯岡助五郎の決闘状。
そんなうまい話があるものかと思うんですがまあとりあえず急いで大利根河原に駆けつけようとするのを、妙心が止めるんで、このセリフが出てきます。三波春夫版。
『止めて下さるな妙心殿。落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、
男の散りぎわだけは知って居り申す。
行かねばならぬそこをどいて下され、行かねばならぬのだ』
なんかちょっと真似したくなるセリフと格好なので、多分1960年代にこれが流行ったみたいです。
ちなみに大利根河原の決闘で笹川組で死んだのは平手造酒だけでした。
いくらなんでもこのオチはないだろう。
三波春夫のもう一つのセリフはこれ。
『佐原囃子が聴えてくらァ。
想い出すなぁ、御玉ヶ池の千葉道場か。
うふ…平手酒造も今じゃやくざの用心棒、
人生裏街道の枯落葉か』
佐原囃子は秋(っていうか旧暦の8月)に行われるんで、それの練習でもしてるんですかね。
ということで、神田明神祭の囃子とか、各地の囃子を聞いてみてまた勉強になる。
勉強にばかりなって、いろいろなものうまく楽しめない。